もうGood Morning

好きな映画、音楽について

【名探偵ピカチュウ】エンドロールで流れるKygo&リタ・オラ「Carry On」を切り口に作品と向き合う

先週土曜日、字幕版をレイトショーで観てきた。
もともと予てから、もしポケモンが実写化されたらヌルっとした質感が強調されてしまって、元のゲーム画面やイラストから伝わってきていた可愛さよりもケレン味が強いクリーチャーとして映像化されちゃうんじゃないかという想定をしていた。

 

でも、実際観てみたらフシギダネエイパムコダックゴルーグもいい感じに3DCG版としてアレンジされていたと思う。コレジャナイ感ではなく、なるほどこうなるのか!! な納得感があった。

 

エンドロールで流れるKygo&リタ・オラ「Carry On」がとってもいい感じの曲で、そこから連想する点から作品について考えたことを書き記しておきたい。

 

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【以下、作品シナリオの核心に触れています】

www.youtube.com

 

「Carry On」ではKygoのトラックの持ち味である、自然の広大さを感じさせるような開放感が、優しく包み込むように鳴っている。水平線の向こうに夕陽がゆっくりと沈んでいき、マジックアワーの空の色で辺りが穏やかに染まっている、そんな景色が浮かんでくる。パートナーと一緒に歩む果てなき旅路の半ばでそんな景色に出会えたらきっとすごくじんわりするね。

 

これまで自分はポケモンという作品の本質は「旅をすること」だと捉えていた。マサラタウンから離れて、選んだ相棒と共に旅立って、鍛えたワザで勝ちまくり、仲間をふやして次の町へ……という話の軸がゲームにもテレビアニメにも漫画「電撃!ピカチュウ」にも根本にあったはずだ。

 

旅路を想起させる、風と雲と冒険が待ってるようなスケール感のある「Carry On」がポケモンの映画の締めに流れる、それってすごくいいなぁと思った。


……でも、映画「名探偵ピカチュウ」のストーリーは大枠でいうと旅物語では無かった。そこに対して物足りなさを抱いたのも確かだ。けど、スマートフォンが普及して地球の裏側がGoogle Earthで眺められるようになった今という時代だからこそ「旅を描かないポケモン作品としての意味を考えたい。

 

劇中の世界線でも、おそらくかつてはポケモン図鑑を片手にポケモンマスターを目指すトレーナー達がいたのだろう。でも、どこにどんなポケモンがいるか、このポケモンはどんな特徴がある生き物なのか、という情報は時代が進むにつれて蓄積され、整備が進み、大部分はインターネットを通じて万人に共有される状態になっていたのだと思う。

ポケモンの生態に関して研究が進んで多くが明らかになった世界だからこそ「人間とポケモンが共に生きる街 = ライムシティ」を作ろうというビジョンに話がいくのだろう。

 

きっとそれは現実の世界と通じるところがあって、前人未踏の場所を開拓していくという営みの (本願として、宇宙や深海というフロンティアが待ってるぞ!! それはそれとして) 一方で、かつて別々のテリトリーで暮らしていた人と、同じ場所・同じ敷地の中で、どうしたら平和に生活を営んでいけるか?という大事なテーマを社会は抱えている。移民の話や、価値観を超えた相互理解という話と向き合わねばならない。

 

で、ポケモンと人間が一緒に暮らせるようにと創られた町において、長年ポケモンの研究に携わったハワードはミュウツーを使って、人間の魂をポケモンに移植しようとした。「共生」ではなく憑依、乗っ取りを選択したことになるよね。ティムとピカチュウの勇気ある連携によって、ハワードの試みは挫かれる。

 

一方でティムはピカチュウとの出会いと一連の冒険を通じて、親子の間にあった断絶を埋めることを決意した。

 

「Carry On」の歌詞にはこんな一節がある:

 

You, you found me
Made me into something new

 

この「into something new」っていうのは、他人との交流によって自分が新しい自分に出会う感覚なんだと思う。ティムもピカチュウ (とここでは便宜的に呼んでいる中の人)も互いにそういう変化を遂げることができたのがきっとこの作品だった。

 

他者を乗っ取るのではなく、他者との出会いによって自分をアップデートさせること。それが本当に大事なことなんだよ、と「Carry On」は伝えてくれているように思う。

 

これからの時代は特に、そういう考え方の重要性は他人事ではないと思う。

www.nikkei.com

 

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本題と全然関係ないんだけど、字幕版で観たからポケモンは欧米における名称で呼ばれてて、コダックは「サイダック (Psyduck)」なのが印象的だった。PsychokinesisのPsy + duckなんだけど、日本語で「いつも頭痛に苛まれてるから "苛" ダック」という雑で勝手な意味付けができるね。このサイダックは劇中で「サイダアック!! サイダアック!!」って鳴くんだけど、鳴き声と種が一致するってことは歴史上、「このポケモンは "サイダック" って鳴くからサイダックと名付けよう」ってことになったんじゃないか。だとしたら面白い。日本語版では無効な想像だけどな。

 

ちなみに現実世界において「○○と鳴くからそれで○○と名付けた」生き物が存在する。ヌーがそう。 

zooing.honpo21.net

ちょっとしたトリビアでした。

 

個人的にベスト平成ソングを選んだ (10曲)

僕は平成元年生まれなので、1989年~2019年に日本でリリースされた曲を対象にベスト選びをするとなると、必然的に「これまでの人生のオールタイムベスト ~邦楽編~」を決めるということになる。90年代・00年代・2010年代それぞれのベストを選ぶのとは違う観点で、「自分のリスナーとしての趣向を決定づけてきた重要な曲」を挙げることにした。そんな感じで、ルールはこちらの企画に沿うようにしました:

 

ongakudaisukiclub.hateblo.jp


それじゃ10曲を紹介!! カッコ内は楽曲がリリースされた年だけど、テキストは出会った順に書いているので前後する箇所あり。

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trfEZ DO DANCE」 (1993)

 うちでは両親が共働きだったので、学校から帰ってくるといつも家には誰もおらず、ひんやりと静まり返っていた。小学校2年生くらいの頃には、放課後に習い事が無い日はMDコンポ (このMDコンポという装置が実に平成ノスタルジックだね) を操作して、聴きたい音楽を再生していた。その中でも特に好きなのがTRFだった。アッパーな音楽にノッて、ベッドの上で飛び跳ねていた。
 今の自分のEDMやトランスが超好きな趣向はこの頃に醸成されだしていたのだと思うし、1人でいる時間を寂しいと思わず、自分なりの楽しみを見つけて生活するような魂の方向性は、幼少期には確立されていたことが今になって分かる。


SPEED「ALIVE」(1998)
 SPEEDは、歌唱力とかダンスとかスキル面以上に、楽曲やパフォーマンスから伝わってくる4人のエネルギーが抜群に強くて大きいユニットだったと思う。だからこそ、スケール感の大きなアレンジで、この世に生まれてきた命の煌き・自分や誰かがこの世に存在して生きていること自体の尊さを歌う曲がとても似合っていた。

 

Ramar「Wild Flowers」 (1999)
 子供の頃、音楽と出会う入り口としてアニソンは間違いなく大きな存在だった。1999年はデジモンアドベンチャーもワンピースも放映開始された年だけど、やっぱりゾイドが好きだったな。この曲のブリッジの「いつでも心を満たすのは 空の青さと風の声」という一節を聴いた瞬間、広大な大地で澄み切った青空に包まれた経験が実際にはなくても、その状況を追体験できて心がざわついてくる。歌にはそういう魔法が宿っている、そんなことを今でも感じさせてくれる曲だ。
 
 
w-inds.TRY YOUR EMOTION」(2002)
 僕は2000年から2002年の間はシンガポールに住んでいた。学年でいうと小5・小6・中1の3年間。滞在中は日本人小学校・中学校に通い、テレビはNHKの衛星放送を観ていた。当時はインターネットがまだそれほど身近なものとして普及しておらず、在住している日本人向けのラジオがSMAPの「らいおんハート」をヘビロテしていたのを覚えている。国民的に大ヒットする存在については準リアルタイムで情報が入ってくる、そんな感じの時間感覚だったと思う。

 そんなシンガポール滞在中の小学校6年生時の2月、ある日NHK以外のチャンネルも観てみたくなってテレビのチャンネルを回したら「MTV」に目が止まった。そこで英米のアーティストに出会ってハマるということも起こり得たはずだけど、僕が観たとき流れていたのは w-inds.TRY YOUR EMOTION」のPVだった。クールで先進的で、学校でみんなが話題にしている平井堅CHEMISTRYとは違った方向性で洗練された音楽が鳴っていた。まるで てれび戦士のように「君を退屈から救いに来たんだ」と画面の向こう側から存在を発信しているように見えた。

 2002年の3月に一時的に沼津の実家に帰った際、近くのCDショップ (当然今はもうない)で「TRY YOUR EMOTION」のシングルCDを買った。それが、自分が初めてお小遣いで買ったCDだった。


BUMP OF CHICKEN「天体観測」(2001)
 上記の「2002年の3月にシンガポールから一時的に沼津の実家に帰った」タイミングで、小4まで通っていた小学校の友達の家に遊びに行った。そのとき「最近じゃ、みんなこれにハマってるんだ」と聞かせてくれたのが、リリースされて1月ほど経ったタイミングのBUMP OF CHICKEN「jupiter」だった。1曲目「Stage of the ground」を飛ばして2曲目「天体観測」をまず聴かせてくれたのだと思う。

 その友人宅の今のコンポで天体観測を大音響で聴いたとき、豊かなハーモニーとスピード感で響き渡るギターイントロに完全にノックアウトされた。これまでとは違う組成の血液を自分の心臓が力強く全身へ送り出し始めたような気がした。
 中学3年間はほぼBUMPしか聴いていなかった。


GOING UNDER GROUND「同じ月を見てた」 (2004)
 高校で軽音楽部に入って、音楽はより身近な存在になった。好きなバンドも増えた。それで高校1年のときに初めてライブを観に行った。近くの大学の学園祭に来てくれたGOING UNDER GROUNDだった。

 そのライブで演ってくれた曲で一際グッと来たのが「同じ月を見てた」だった。この曲って「ロックバンドが4つ打ちビートの曲を演る」フォーマットなんだけど、アゲる・躍らせるという感じじゃなくて、郷愁とか切なさとかに心置きなく浸らせてくれるような、しっとりしたしなやかなビートが鳴っているんだよね。それが歌に本当によくマッチしてる。

 

泉こなた柊かがみ柊つかさ高良みゆきもってけ!セーラーふく」 (2007)
 高校の頃から洋楽をたくさん聴くようになった。同世代の大学生が らき☆すたハルヒを通過している一方、僕はアークティック・モンキーズフランツ・フェルディナンドやクラクソンズが好きだった。で、ロッキング・オンCROSSBEATを読んで「世の中には英米の音楽に関心を持っている人がたくさんいる。僕もその仲間になりたい」と思っていた。
 でも自分が大学に入った2008年って、(たぶん、自分のいた大学がある種の特異点だったのだろうけど)大学生にとって、みんなの共通の話題といえばニコニコ動画だったと思う。カラオケに行ったら誰かが「God Knows」なり「エアーマンが倒せない」を入れていた。当時、自分が抱いた雑な括り方での印象でいうと「オタクカルチャーがメインストリームで、欧米の音楽はそれ自体がオルタナティブ」であることを実感した。
 で、11月に学園祭があって、屋外ステージで「踊ってみた」イベントを結構大きな規模で演ってめちゃくちゃ盛り上がってるのを目の当たりにして、その場のエネルギーの大きさに圧倒された。 
 その「踊ってみた」ステージの中心にあった楽曲こそがが「もってけ!セーラーふく」だった。あのときの学園祭を通じて、前述でいうところの "オルタナティブ" 側に関心を持っていた自分が "メインストリーム" で起きていることの凄さ・すばらしさを正面から受け止めたのだと思う。
 
 
サカナクション「夜の踊り子」 (2012)
 自分が洋楽をたくさん聴くようになったとき、リアルタイムで英国で起こっていたムーブメントが「ニュー・レイヴ」だった。どんな音楽シーンの潮流だったのかを一言で表すなら「ロックバンドが踊れるビートやシンセを取り入れてクラブミュージック側に接近した一方、トラックメイカー達はディストーションシンセや勢いのあるリズムを取り入れてロックのダイナミズムに手を伸ばしていた」ような、異なるシーン同士がお互いに歩み寄るような蜜月関係でダンスミュージックがアップデートされた瞬間だった。ニュー・レイヴというムーブメント自体は2008年頃には下火になってしまったと記憶しているが、カルヴィン・ハリスのアルバム「Ready for the Weekend (2009)」とかからはこの時期の残り香が漂っている感じがして、とてもいい。
 
 さて、「ニュー・レイヴ」とほぼ同時期の2008年前後、日本ではサカナクションやテレフォンズ、80kidzらが日本で「踊れる音楽」をアップデートさせていた。その後サカナクション幕張メッセで単独公演が打てるレベルの大物に育ち、今なお支持とスケールを拡大させ続けている。アルバム「DocumentaLy」の後でどんな新曲が来るかなと楽しみにしていたタイミングで放たれた「夜の踊り子」は、ブレイクしたサカナクションがさらに先へ進んでいける突破力を示してくれた、痛快な一撃だった。
 
 
水曜日のカンパネラシャクシャイン
 世の中、歌を作ろうとする人・作詞する人は、意味とかメッセージとかに心を割きすぎているんじゃないかと思うことがある。そういうことがしたくて音楽をやっている人達だろうからそれはそれでいいのだけど、音楽というのは鳴っているだけで素晴らしいのだ、意味はさておきリズムや語感そのものがエネルギーと快感の奔流を生み出せるのだ、ということに自覚的なアーティストに出会うと「おおっ!!」となる。たとえ歌詞の意味が「北海道来いよ」という6文字に要約できたとしても、それで楽曲の持つ途方もないエネルギーが縮退するなんてことはない。むしろ、意味が単純だからこそ、「意味」という枠の中で楽曲が評価・解釈されることから自由になり、私たちの中で大きな存在として膨れ上がっていく。「シャクシャイン」はそんな曲だ。

 

a flood of circle「BLUE」
 でもやっぱり、歌詞の内容に心が強く突き動かされることってあるよ。人生ままならないことがいろいろあって、思うように前進できていない、どっちが前なのかすら分からない、時間が解決してくれる目処なんて立ちはしない、という状況にあっても、選んできた道のりの正しさを祈りたくなったときに道標になってくれる曲をAFOCの佐々木亮介さんは生み出し続けてきた。その中でも特に「BLUE」が好きだ。

 

というわけで10曲でした。

アルバムも選ぼうかな。選ぶとしたらすげぇ悩むな。

【スパイダーマン: スパイダーバース】チャンス・ザ・ラッパーのポスターとストーリーの密なリンクを紐解くぞ

 3/16にレイトショーでスパイダーマン: スパイダーバース [2D吹替]を観てきた。圧巻の映像体験だった。CGアニメにコミックが動いているような演出を加えるだけでなく、ゲームをプレイしている感覚の「キャラクターが画面の中心にいて、手前に向かって走って来る時に角を曲がると背景がぐるっと回転する」ような描き方が取り入れられていて面白い。

 劇中に出て来る小物や各種アイテムにもこだわりが効いていて、主人公・マイルスの部屋に貼ってあるチャンス・ザ・ラッパーの「Coloring Book」のポスターにはニヤリとさせられた*1

Coloring Book

Coloring Book

  • チャンス・ザ・ラッパー
  • ヒップホップ/ラップ

 

 

【以下、作品シナリオの核心に触れています】

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  「Coloring Book」のポスターは「チラッと映る」レベルじゃなくて、寮の部屋にスパイダーマン達が到着し、ピーターがマイルスに部屋に残るよう説得する大事なシーンで執拗に映る。このポスターは何なのかということを考えていくと、本作との深いつながりが浮かび上がって来るように思える。

 

Coloring Book」というミックステープ

 

 シカゴ出身のアーティスト、チャンス・ザ・ラッパーが2016年に発表した「Coloring Book」という作品について。この作品はCDダウンロード販売も無く、ストリーミング配信のみでリリースされた。有料販売無しの「Mixtape」という位置付けの作品でありながら、ビルボードのチャートで全米初登場8位にランクインする (近年のヒットチャートでは純粋な売り上げだけでなく配信サービスの「再生数」等も加味される)という快挙を成し遂げた。 

thesignmagazine.com

 ちなみにどんな音楽作品かというと、ラップのカッコよさとゴスペルのような多幸感がポジティブなエネルギーを溢れさせる、音楽が最高に楽しいものであることを改めて強く実感させてくれる一枚だ。2016年の年間ベストアルバムに挙げた人もたくさんいたと思う (もっとたくさん語るべきポイントがあるのだけど映画の話にフォーカスするために紹介はあっさり目に留めておく)。

 

 ペインターのマイルス、テープを再生するアーロンおじさん

 

 「Coloring Book」すなわち塗り絵帳というタイトルがそもそも「スパイダーバース」のテーマに見事に繋がると思う。塗り絵は、既にある線画を自分なりの色で塗り上げていくものだ。「スパイダーバース」では、スパイダーマンというヒーロー像が既に確立されている状況で、マイルスはそれを新しく自分の色で染めていくことを選択する。だからこそマイルスはグラフィティアートを楽しむ少年: キャンバスを自分なりの色で染めていくキャラクターであることがバッチリハマる。

 

 アーロンおじさんに連れられて地下鉄の線路を辿って行き着いた場所で「Great Expectations」にインスパイアされたグラフィティを壁に描いていく時、おじさんはカセットテープでBGMを再生していた。今ならスマホからBluetoothスピーカーで爆音再生もできるのに、あえてカセットのミックステープを再生する。それも「Coloring Book」がCDではなくmixtape名義だったことと重なってイイね。

 

 そう考えるとチャンス・ザ・ラッパーというアーティストはマイルスの「推し」というだけでなく、マイルスとアーロンおじさんの繋がりにおいて大事な存在なんだと思えて来る。 

 

Same Drugs」の歌詞のこと

 

 アルバム「Coloring Book」の中でも特に印象的な「Same Drugs」という楽曲*2について。この曲の歌詞には塗り絵というモチーフに密接に関わるラインが出て来る。

 

Dont you color out

Dont you bleed on out, oh

Stay in the line, stay in the line

 

 はみ出していかないで。

 外れていかないで。

 ラインの内側に留まっていて。

 

 という風に意訳できるのかな。この曲が劇中でかかるわけでもないんだけど、このラインをスパイダーバースの内容に重ね合わせてみたい。 

 線画というものを「既存のスパイダーマン像」に対応させる見方を前述したけど、それとは別に「はみだす/逸脱していく」ということを、家族を顧みない・周囲の犠牲を厭わないヒーローになってしまうことだと考えると、最後の方でスパイダースーツを着たまま父親と抱擁するのが一層感動的だ。「ラインの内側に留まる」ことはマイルスにとっては恐らく「ヒーローとして活躍しながら、大事な家族と居続けること」だから。

 

 

 僕は吹替版しか観ていないのだけど、エンドロールのTK from 凛として時雨P. S. RED I」はすごく良かったと思う。今回の映画は多次元宇宙からいろんなスパイダーマンが集結する作品なので、サントラのテイストに対して良い意味で「異質」な楽曲がブチ込まれるのが気持ちいい。

  この曲は、ギターと打ち込みとストリングスとピアノがスリリングに絡み合って展開していくところが作品の魅力 (登場するスパイダーマンの多様さ、画面の情報量の多さ)と繋がっている。Aメロ → Bメロサビのような繰り返しが無く、どこまでも走り続けていってしまうような構成になっているのが「一度変身して悪と戦うことを選んだら、二度と元には戻れない」運命とリンクしている。

 

*1:

正確に言うと現実の私たちの世界でリリースされている音源のジャケットとは細部が異なっている。現実のジャケットではキャップの数字が「3」だけど映画の中では「4」になっている。このページのNo.12に記されている

amecomi-info.com

 

 

*2:

20188月のサマーソニックでチャンス・ザ・ラッパーが来日した時の幕張公演。「Same Drugs」冒頭で日本の観客からシンガロングが沸き起こるのを観て、ステージに立つチャンス君は手を叩いて喜び、涙を拭っていたという。感動的瞬間だ。僕はその様子をTwitter越しで知った。

https://twitter.com/mami_neon/status/1031129688519786496

 

2018年ふりかえり

今年、ハマったいろいろなもののメモ。

 

【映画】

noteに年間ベスト映画を書きました。

note.mu

といっても「勝手にふるえてろ」は2017年公開作品なので、改めて今年の映画で選び直した。

 

10. フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法

9. ガンジスに還る

8. 寝ても覚めても

7. タクシー運転手 約束は海を越えて

6. ペンギン・ハイウェイ

5. ブリグズビー・ベア

4. 恋は雨上がりのように

3. スリー・ビルボード

2. リズと青い鳥

1. レディ・プレイヤー1

 

10位までしか挙げなかったけど11位に「若おかみは小学生!」、12位に「ハン・ソロ」、13位に「クレイジー・リッチ」を推したい。

 

【音楽】

noteに年間ベストアルバムを書きました。

note.mu

 

アルバムは9枚までしか選んでなかったけど、10位にはこれを推したい。

open.spotify.com

 

トランスというジャンルが今でもヨーロッパでは活気があって、ULTRA JAPANの場でそれを体感できたのはよかった。

 

来年は、ドレイクとユーミンをたくさん聞きたい (なんかすごく振れ幅がある)

 

【ライブ】

参戦歴。

20180123 Foster The People@なんばHatch
20180209 The xx@Zepp Bayside Osaka
20180325 凜として時雨@Zepp Bayside Osaka
20180518 Rhye@Zepp Divercity Tokyo
20180618 Cero@Zepp Divercity Tokyo
20180623 maison book girl@日本青年館
20180728 Fuji Rock Festival’ 18
20180908 80kidz@渋谷WWW
20180916 Ultra Japan 2018
20181007 Nothing’s Carved In Stone@日本武道館
20181108 DATS@恵比寿リキッドルーム
20181220 D.A.N@新木場STUDIO COAST

1月1本くらいのペースで行ってる。

ベストは、フジロックで観た小袋成彬

 

アニメはSSSS.GRIDMAN、ドラマはおっさんずラブ (どちらもAmazon Primeのおかげで追えた)、ラジオは「問わず語りの松之丞」にずっとハマってたな。

 

【生活】

ランニングをはじめた。といっても2週に1度、4 km走るくらいの軽いやつ。気分転換にはなる。

 

間食をやめた。具体的に言うと、会社で17:00~17:15の休憩で菓子パンを摂取する習慣があったのだけど、これを廃止して晩御飯まで何も食べないようにすることで糖分・脂肪分の摂取量を抑えた。

 

ボルダリングをはじめた。といってもまだ2回しか行ってないけど、日頃やってたプランク体幹レーニングをしていたのが役に立ってうれしい。

 

来年には30歳になるので、このタイミングで軽運動にハマるようになったのはあるあるなのかもしれない。

 

元気で健康に30代に突入できますように。

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【TK from 凛として時雨】film A momentブックレットの写真の場所に行ってきた ~スコットランド編~ (2013)

という記事をnoteに書きました。

note.mu

【クレイジー・リッチ!】レイチェルの赤いドレスって紅包 (アンパオ)の比喩だよね

 僕は小5から中1までシンガポールに住んでいた。自分が育った場所が経済発展して映画映えするスポットとして躍動しているのはなんだかとても嬉しい。

 

 シンガポール滞在中は日本人小学校・中学校に通い、普段はNHKの衛星放送を観て過ごしていたので、異国の文化に漬かる・浸るというよりも日本人コミュニティの中で生活するに留まっていた。とはいえ学校の授業ではシンガポールの文化や歴史を扱っていたので、映画「クレイジー・リッチ」の中に登場するセリフでも「日本で生活していると伝わらないネタ」に気づくことができた。それについてちょっと取り上げたい。

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 NYを出発する前に、レイチェルの母は赤いドレスを勧める。幸福と富の象徴として。そしてファーストクラスでシンガポールに着いたレイチェルが友達のペク・リン (ホントいい子だよね)邸に遊びに行って家族と一緒ににご飯を囲む。そのとき、赤のドレスについて「君が封筒ならいいけどね」と からかわれてしまうシーンがあった。

 

 この封筒が指しているのは手紙を出すためのものというより、中国のご祝儀袋/お年玉袋に相当する「紅包 (アンパオ)」だと考えられる。

 

theryugaku.jp

 

 

 アンパオに入るのはお年玉すなわち子供のお小遣いだったり、ご祝儀だったりする。「君が封筒 = アンパオならいいけどね」というセリフは、レイチェルの彼氏: ニックの家が不動産王として保有する資産に比べたら、レイチェルの資本力は「子供の小遣いか、紙幣だとしても数枚の価値だろ?」と言っているような揶揄として深読みできてしまう。

 だからこそ、そんなレイチェルの大逆転劇としてイイ映画だなぁと思って観ていた。


 あと、ニックの家がまさにそうなんだけど、家柄というものをとてもとても重んじている価値観について。どこの国にもそういう考えを持った人というのはいるんだろうけど、シンガポールが辿った歴史と、中国人の「血縁」を重んじるコミュニティとについてちょっと触れておきたい。

 

 イギリスの植民地だったシンガポールは、東南アジア有数の貿易拠点として開発・発展が進み、19世紀には中国から出稼ぎ労働者が多く移り住むようになっていった。中国と一口に行っても福建省広東省・潮州・海南などなど移民の出身地は多岐に渡った。


 移り住んだ先のシンガポールで、中国人は地縁 (出身地)や血縁 (家柄)などを元にコミュニティを形成していった。見ず知らずの土地で仕事を見つけて生活しようとする人が、縁・ゆかりのある同胞であるならば支援できるように、と相互扶助組織を創っていった。この組織・コミュニティは「幇 (パン)」と呼ばれていたらしく、学校や病院の設立などにも関わる大きな団体だったらしい。


 シンガポールにはマレー人やインド人も移り住んでいるんだから、国籍を超えたコミュニティが形成されたわけではなかったの? という疑問も湧いたけれど、英国の植民地政府は「民族別に居住地を指定して、棲み分けてもらおう!!」という政策で統治をしていた。植民地政府は、

  • 民族同士の争いが起きること
  • 民族の壁を超えた組織が形成され、植民地支配の転覆を企てること

を恐れたためである。チャイナタウン、リトル・インディア、ブギスと呼ばれるエリアが今のシンガポールにもある。これらはかつての民族別居住区の名残である。
 そうして棲み分けが進んだ結果、移民した先でも出身国と同じ言葉を話す人たちのコミュニティで固まるようになり、さらに前述の「幇」のような、地縁・血縁を重んじる組織が形成されやすくなったのだと考えられる。

 

 なんかいつになくめっちゃお堅い話になったね。(いつにない方向性というだけであって堅いのは普段からかな?笑)

 

シンガポールは普通に街の景色を撮るだけでも、映画の中に出てきたような煌びやかで活気のある風景を切り取ることができる。とてもいいところだよ。

 映画の序盤では「観光プロモ映像じゃん……」と思わざるを得ないテイストのカットがあったけど、それくらい強くアピールする価値がある素敵な街ってことで受け止めた。

 

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参考: 

 

【ペンギン・ハイウェイ】ハマモトさんと子供の強さ・アオヤマくんと大人の特権について考える

 ちょっと前からTwitterで「#後世に残したい漫画の名言」ハッシュタグが盛り上がっていた。

 僕は、ヤングガンガンで連載していたBAMBOO BLADEという漫画がとても好きだ。剣道部に所属する女子高生達と、どこか大人の階段を登りきれていないような顧問の先生 (コジローという)が繰り広げるコメディタッチの部活動コミックだ。

 

 その中に、今でもよく覚えている大好きなセリフがある (ペンギン・ハイウェイについて考える中で関係してくる大事なテーマが詰まっているセリフ)。

 

子供達が通う剣道場に恩師を訪ねていったコジローは、
子供の強さって、いつでも本気が出せるところだと思うんです。

私見を述べる。

 

 子供たちはエネルギーが持続する限り、効率化とか、損得とか、忖度とか、楽をしようとか、キャラじゃないとか、そんなこと一切考えずに本気になることができる。本気になることにかけては天才的な生き物だ。そんな思いを込めて、大人になった自分が、忙しさやめんどくささに かまける ようになったことを省みる。

 

 また、練習試合で対面した他校の生徒に接するシーンでは
若いうちから手を抜くことなんて覚えるんじゃない。まだガキなんだから後先考えず全力でやってりゃいいんだよ。今楽ばっかしてると、大人になってから本気の出し方忘れちまうぞ
と指導する。年をとっても、理屈や言い訳で逃げずにちゃんと本気が出せるようにしていたいと常々思わせてくれるセリフだ。

 

【以下、作品シナリオの核心に触れています】

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 映画「ペンギン・ハイウェイ」に出てくる小学生たちは、夢中になれる何かに対してナチュラルに本気を出している。
観ていて、それがとっても気持ち良かった。

 

 ウチダくんは、アオヤマくんがいないときでも、1人でプロジェクト・アマゾンの謎を探求する。

 スズキくんは、ハマモトさんの耳に自分の悪評が入ることは厭わず、全力で意地悪をしかけてくる。
 ズズキくんと腰巾着 (脇の2人)は、いざアオヤマくん達を助けようということになったら、叱られることも省みずに先生や大人に体当たりする。
 アオヤマくんは、ハマモトさんを「異性」ではなく「同志」のように見ていることで、ウチダくんも交えて、一緒に “海” の謎に向き合っていく。

 そしてハマモトさん。ハマモトさんの本気は特に素敵だ。それが「怒る」という感情の発露で現れるところに素直さが出ていてめちゃくちゃ好きになった。

 

 彼女が怒るシーンは劇中では大きく2箇所あったと思う。1つ目は「意固地になる」とても言った方が正しいんだろうか。アオヤマくんがお姉さんを ”海” の謎の解明に参加させたいと申し出るタイミングだ。

 前述のようにアオヤマくんが「異性」を意識していない一方、同い年のハマモトさんはお姉さんに嫉妬し、強がるような感情が芽生えている。女子の方が男子より先に背が高くなっていくような時期特有の、ハマモトさんの方が心が先に大人びてきている状況。それでいて子供らしいまっすぐさを本気で炸裂させ、アオヤマくんをがっかりさせることも顧みずに意地を張る。かわいいなぁ。

 

 もう1つ目は、研究者達に学校から連れ出されたウチダくん達がテントにいるのを発見し、"海" の話を大人にしていることに気づいて激昂するところ。

  自分が大事にしてきた研究や秘密の保持を邪魔するような人間は、たとえ父親が見ている前でも、たとえ他の大人が見ている前でも、たとえ仕返しされることになろうとも放っておけない。

 そんなひたむきさ・真剣さ・自分が抱えているものに本気になれることがとてもいいなぁと思った。子供の頃なら躊躇なく発揮できる大事な輝きを、ハマモトさんが体を張って見せてくれているような気がした。

 

 大人になるとそういうことが自然にできなくなる。大人は繰り返される日常を生きている一方で、子供はいつでも成長の過程の一瞬を生きている。だから、周囲に配慮するとか、黒歴史にならないように地雷を回避するとか、そういうことは気にしないで後先考えずに生きていて良いはずだ。

 

 大人のあり方として、こんな言葉*1がある。

「過ちを気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが、大人の特権だ。」
                         ー フル・フロンタル

 

 これを聞いたとき、別に子供だって過ちを気に病むことはないんじゃないか。どこらへんに大人特有の特権があるのか? と気になった。

 

 たぶん大人は「次の糧」として経験を活かす場があり、既知の課題にいつかまた出会うことが多くなる。同じ問題と向き合う中で、意図的にせよ無意識的にせよ、再現可能な解決策やパターンを駆使して生活を営んでいく。そして前述のBAMBOO BLADEのセリフに「本気の出し方」という言葉があるように、子供の頃に当たり前にできていたことに対してすら、ノウハウ・方法論を求めるようになる。

 

 一方子供達は、遠く先のことを慮ったり、後ろを振り返ったりしなくていい。今、目の前にあるもの: 箒星のように過ぎ去っていく一瞬に夢中になれる生き物だ。

 

 だから、
過ちを気に病むことはない。次の糧になるか/なったかどうかは、大人になってから気づけばいい。目の前にある、たくさんの「はじめて」に真剣に向き合えばいい。

それが、子供の特権だ。と思う。


 そんな生き方をピュアに邁進しているアオヤマくんの探究心は、改めてすばらしく美しいなぁと思った。「この謎を解いてごらん」とお姉さんにほだされ、お姉さんの謎に対して自分なりの答えを導き、「謎」だったお姉さんを、より大きく影響力のある課題: すなわち “海” の謎を解くための鍵に転化し、いつかまた会うことを新たな課題に設定した。

 

 謎が解かれて解決策になる → 新たな謎が生まれるというサイクルによって、アオヤマくんの前には夢中になれる対象がいつもちゃんとある。そのサイクルで走り続けていく限り、子供の特権を行使して得ていったものがそのまま「次の糧」になれるように積み重なっていく。

 

 アオヤマくんはセリフの中で「大人気ない」ことへの自負を露わにするけど、彼は大人でもないのに、自分の学んだことを「認めて、次の糧にする」スタイルが確立されている。頭はもう立派に大人なのに、心はまだ (同い年のハマモトさんよりも)子供なところが、ほんとうに大人気なくって、かわいいなぁと思った。

*1:機動戦士ガンダムUC episode2 赤い彗星」劇中のセリフ。