もうGood Morning

好きな映画、音楽について

【シング・ストリート】RISSEI PROM PARTYに行ってきたよ

2017年10月9日(月・祝)、京都市内の最高気温は29℃。

元・立誠小学校のイベント「RISSEI PROM PARTY」に行ってきた。
会場に行く前から、鴨川も高瀬川もとても綺麗で良い気分になった。

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僕は立誠シネマには行ったことが無かったので、建物自体に入るのが初めてだった。
小学校の校舎を訪れて懐かしさを感じるというよりも、古びない魔法を宿した空間にいるような不思議な雰囲気に浸ることができた。

 

会場内の様子。

 

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古本・レコード市での買い物に行く前、講堂入り口の物販コーナーを見ていたら映画「シング・ストリート」にも登場するカセットレコーダーが置いてあって「おおー!!」となった。しかもメーカーは任天堂で京都つながりアピールしてる。

ちなみに劇中に登場するレコーダーには「National Panasonic」のロゴが入っていた (ブレンダンの部屋にあるやつ)。あれも日本製だったわけだ。

 

いろいろなお店が出店されていたしライブもやっていたけれど、やはりシング・ストリートの上映会が本当に良かった。パイプ椅子に座って、満員の講堂で静かな熱気をみんなで放ちながら映画を共有していた。

 

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ステージ脇の金色のバルーンに観客席が圧縮されて写り込んでいるのをみて「学校で観てるんだなぁ」と実感した。シング・ストリートは1度ブルーレイで観たことがあったけど、劇中と同じように飾り付けた講堂で多くの人と「見届ける」感じになったので一層思い出深い。

あの日観ていて、改めてグッときたシーンについて書いておきたい。そんなわけでここからは映画の感想。

 

【ダーレンというマネージャー】

僕は10年くらい前に京都で大学生をしていて、学園祭実行委員に所属していた。実行委員という組織の末端として駆けずり回って、計画を練ったり各方面と打ち合わせをしたりフィナーレの企画を練ったり当日にステージを建てたりテントを立てたり物品を運んだりコンセントを配電盤に繋いだりしていた。

そうやって顕現したおまつりに、人がたくさん来てくれて楽しんでいるのを観ると、本当に暖かい気分になった。


ダーレンが、プロムパーティでステージに立って演奏するコナーたちをフロアから見守って楽しそうに笑ってるシーン (口が半開きだったのがまたいい)で、「そう、そこから観る景色って格別だよね」と思った。

いじめられていたコナーに声をかけ、バンドのメンバーを集め、ミュージック・ビデオを撮影することでシング・ストリートというバンドは転がり出して行った。そんなドラマの立役者がダーレンだった。彼がフロアからステージを眺めて満足そうにしている瞬間が、学園祭の裏方をやっていたときの体験と重るようで、すごくじんわりした。

 


【エイモンという芸人】

大勢で映画を一緒に観る楽しみって、みんなで同じタイミングの笑いを共有するところにあると思う。
ダーレンがンギグにカタコトで話しかけるところも爆笑を誘っていたけど、この映画に暖かい笑いを加えて抜群に面白くしているのはやっぱりエイモンだと思う。

みんなで笑ったポイントを振り返る:

  • エイモン、ギターやベースやドラムだけじゃなくて民族楽器みたいなやつまで演奏できて、お前超人かよってなる
  • エイモン、無類のウサギ好きすぎて机の下でウサギを撫でている
  • エイモン、やはり無類のウサギ好きすぎてバンド名に “ラビッツ” を提案する
  • エイモン、冷静に見えて “ The Riddle Of The Model” の展開を練ってるときに「それで、花火がドーン!!」とか想像力抜群でドリーミンな一面を見せる
  • エイモン、中間試験などという常識的な概念を気にしているけど気にかけてるのはママだと弁明する
  • エイモン、ギター担当なのにギターソロを入れたがるわけでもなくバンド全体の俯瞰に徹していてあんまり目立ちたがらないタイプなのかと思いきや、パーティに女の子がたくさん来るとわかった瞬間に俄然ライブをやる気になる

良さみが深すぎる。

 

 

【コナーという少年】

物語の終盤、「JIM」と書かれたボートでダブリンを発つ時、彼の頰が真っ赤になっていたのがとても印象的だった。赤ちゃんかよと思うような色に染まっていた。寒いのだろうし、やはりコイツはまだ本当にガキなんだ、けど本当に勇敢でガッツがあって純粋でひたむきな男の子なんだ、と実感した。

 

彼はバンド名に “La vie”, フランス語で「人生」を意味する単語を挙げていた。その後のシーンで、登校中に「悲しみと喜びは同じ」について語るときのセリフや、“Drive it like you stole it” の歌詞には “人生” という単語がキーワードとして登場する。

 

再会したラフィーナに「これが人生よ。15歳の高校生とつるんで〜」と言われた時にはチクリと(カチンと?)と来たのか、ギグについて聞かれても答えようともせずに立ち去ってしまう。

 

ほっぺたを真っ赤に染めてるような あどけない少年が、そんな風に人生について真剣になるのはやっぱり家庭環境が冷え切っていたせいだと思う。でも、バンドを組んでデモを作り、ラフィーナに届けて行くことで彼の人生に確かな光が差して行く。少年だからこそ信じていられる、まっすぐでアツい夢や希望を追いかけていく。

 

金もツテも無いイギリスへ、ボートで渡るという冒険がどれほど無謀であっても、世界の神ですらそれを嗤う権利なんて持たない。彼の想いが届いて、嵐の向こうの行きたい場所へたどり着きますように……なんて風に、フィクションの中のキャラクターの未来が明るく開けることを願ってやまなくさせるような、本当にいい物語だった。

 

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ということで、すばらしい作品を極上のロケーションで楽しめて素晴らしい映画体験になった。

ありがとう、立誠小学校!!

 

【ラ・ラ・ランド】Someone In the Crowdの中盤から盛り上がってく展開ってEDMみたいで気持ちイイよね

「ベイビードライバー」といい「ドリーム (Hidden Figures)」といい、サントラが超キャッチーな作品がどんどん出てくる2017年だけど、今年の映画の劇中歌で1曲お気に入りを選べということになると “Someone In the Crowd” を真っ先に推したくなる。

 

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ラ・ラ・ランドでミア達がパーティへ出かけるシーンの曲。

 

www.youtube.com

 

この曲は全体通して明るくてポップでノリノリな雰囲気でとっても楽しい。特に、一旦静かになってから (上の動画でいうと1:04〜)ウッドベースやピアノやフルートが入ってじわじわ盛り上げてくとこが好きだ。盛り上がりがピークになって「ジャンッ!!」ってなってから、軽快なリズムのフレーズを反復させる流れに自然にノれる。
 
 
……という風に曲の流れを追いかけていて「ハッ!!」と気づいた。
 
 
この展開、EDMにそっくりじゃない!? と。
 
 
「EDM?? パリピ御用達みたいなアゲ⤴︎アゲ⤴︎ 系クラブミュージックと関係があるの? これジャズでしょ? 」と思うかもしれないけど、いやいやとっても良く似てる。
 
音を徐々に大きく派手にしながらじわじわ盛り上げていって、高みに達したところで休符がバシッ!! と炸裂して、シンセリフのループが高らかに鳴り続ける、というのがEDMの定番の展開*1

曲がいちばん盛り上がるところで、歌のパートじゃなくてリフ主体のインスト・パートを持ってくるのが特徴というかキモというか必殺武器だ。具体例はこんな感じ。
 
www.youtube.com (0:45あたりから盛り上がってく) 
 
www.youtube.com(1:20あたりから盛り上がってく) 
 

この楽曲展開は、クラブやフェスで、観客が知らない曲でもみんなが盛り上がれるようにパターン化された定石として確立されている。それが確かな求心力に繋がっていることは、上記の2曲の再生回数を見てもらえば伝わると思う。
 
EDMの人気は文化や言語を超えて広がり、このジャンルを中心に据えたイベント「ULTRA MUSIC FESTIVAL」はフロリダを起点にスペイン、ブラジル、アルゼンチン、韓国、南アフリカ、コロンビア、タイ、マカオシンガポールそして日本へと進出して行ったー。
 
 
……で、ラ・ラ・ランドに話を戻そう。
"Someone In the Crowd” ではゆっくりじっくり高揚感を煽り立て行くパートは、いろんな楽器の音が徐々に重なり合って一緒に上昇曲線を描いていくことでワクワク感を膨らませていく。そしてEDMにおけるシンセ・リフの代わりに、この曲では「ド!  ド! ド〜レ〜ミ レ! レ! レ〜ミ〜ファ」のフレーズが炸裂し、楽器が舞い踊る。
 
ラ・ラ・ランドの劇伴を手がけたジャスティン・ハーウィッツが、今風のクラブミュージックを意識してスコアに取り入れようとしたのかは定かでない。映画で描きたいシーンに合わせて曲を組み立てたら、偶然この流れになったのかもしれない。
 
いずれにせよ言葉や文化を超えて届くクラブミュージックとの共通点があることは、この映画が持っている、ミュージカルに馴染みがない人でも虜にしてしまう求心力を強く後押ししていると思う。
 
劇中映像バージョンの動画も観てみよう。
 
 
 
曲がじわじわ盛り上がってくところは、ミアがベッドで横になって想像膨らませてるシーンになっている。期待感が胸のうちでロマンチックに高まっていくところだ。
 そしてサントラ収録版とは違って映像では、ピークのところでちょっと焦らしてから「ジャンッ!!」ってなる。こういうズラしもEDMのPVでよくある(ちなみに僕は、この4人のうち誰がいいかで言ったら、迷わず黄色のお姉さんを選ぶぜ。ホットじゃん)。
 
 
EDM的展開の後、ミアが鏡と向き合っているシーンでこの曲はまた静かになる。そこからは流麗なストリングスがWest Side Storyの「Tonight」序盤みたいにふわりとしていいなぁと思った。そしてフィナーレでまたドカーン˜!! と盛り上がるのがたまらない。
 
 
そういうわけで "Someone in the Crowd" は、イマドキの流行りの音楽に通じる魅力がありつつ、ハリウッドの古き良きミュージカルのスコアも彷彿とさせるモダンでスマートなポップ・ソングとして「観るもの全てが恋に落ちる、極上のミュージカル・エンターテイメント」というキャッチコピーを見事に体現している。
 

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※今回のネタは、8月頭にcinemactifのポッドキャストにおたよりで投稿した話が元です (イワキと名乗っていました)。おたより、読んでいただきありがとうございました!!
 
 

*1:

カルヴィン・ハリスの歴史を紐解く記事が詳しい。

【ダンケルク】民間船の名前とストーリーのリンクを考察した

 


クリストファー・ノーラン監督作の「ダンケルク」。

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(※ネタバレ注意)


1回目はIMAXで観て圧倒されて、2回目をIMAXじゃなくてもいいからとにかく観たい!! ということで塚口サンサン劇場で観た。劇場で迫力ある映像・音響体験ができることも魅力だけど、帰ってから思い出したり脳内上映したりする中ですごくじんわりする映画だと思う。ギブソンの誠実な優しさとか、夕暮れの浜辺を滑空するスピットファイアの勇姿とか。

 

劇中、ダンケルクの浜にやってくる非武装のボートの名前を見ていて、深読みしたらストーリーとこんな風にリンクするんじゃない!? と勝手に盛り上がったので記事にしちゃう。

  1. NEW BRITANNIC
  2. ENDEAVOUR
  3. MOONSTONE

の、3挺について。

 

ちなみに本作の撮影風景写真が膨大にアップされているサイトがある。どの写真もタグ付けされていて、「BOAT」というタグの画像だけで662枚もある!!

Dunkirk - photos and videos of behind the scene

 

ファンの方が、沖合での映画撮影の模様を2016年に望遠レンズで撮りためていた模様。

 

それではひとつづつ紐解いていく;

 

 

1. NEW BRITANNIC

dunkirk-the-movie.com

 

防波堤にいる司令官 (ケネス・ブラナー)が双眼鏡で沖合を眺めている。陸軍将校が「何が見える?」と尋ねる。司令官は答える。「故国(Home)だ」と。

 

その次のシーンで、本当にたくさんの民間船がダンケルクの浜に兵士を迎えに来た様子が映るのだけど、名前が分かるようにアップで映る船のひとつが ”New Britannic”、「新しい英国」という名前の船だ*1

 

この「新しい英国」というモチーフは、映画の最後にトミーが読み上げる新聞記事で、チャーチルの戦意高揚演説に出てくるビジョンとリンクしていると思う。

 

演説の最後は「この島が制服され、飢えに苦しむことになっても、我々は戦い続ける。いつの日か、新世界の新しい力が古い世界を救い、解放するまで」というフレーズで締めくくられる (細部は省略)。この言葉で示されている未来が「新しい英国」に呼応していると捉えた。そういう名前の船が兵士達を助けにやってくる展開になっている。

 

兵士が一時的に戦場から救い出されても、ずっとずっと戦争を続けようとする英国。ダンケルクの浜から生還しても、ドイツとの戦いがまだまだ待ち受けている過酷な運命を想起させる。


「古い世界を救い、解放するまで」という言葉は、戦争の終わった平和な世界の訪れを意図しているような気が一瞬はしていた。でも実際には第二次中東戦争 (1956〜)、フォークランド紛争 (1982〜)、北アイルランド問題など火種は絶えていなかった。この映画で描かれている勇気や信頼、誠実さが美しく見えたとして、それは戦争という凄惨で終わりの見えない過酷な事象の中の本当に短く儚い一瞬に過ぎない。

 

 

2. ENDEAVOUR

dunkirk-the-movie.com


Endeavourという単語自体が「困難な状況に立ち向かう・努力する」という意味。

本作の予告編でリフレインしていた ”We Shall never surrender” は元々、「大英帝国は決して降伏しない」という国家レベルの大義だった。それが本作では「生きて還ることを絶対に諦めない」という一人一人の強い意志を言い当てたフレーズに読み替えられている。そんな生き残りをかけたEndeavourの過程がこの作品そのものだ。

 

それから僕はノーラン監督の前作「インターステラー」がとっても好きなので、宇宙に関連するワードが出てくると思わず反応する態勢ができていた笑。「エンデバーって、スペースシャトルの名前じゃん」と思わずにいられなかった。

 

よく調べて見ると (映画の舞台からすればずっと未来の話なのだけど)、アポロ15号計画で月に行った司令船がエンデバーという名前だった。このアポロ15号計画のミッションでは、月面着陸によって月の石を地球に持って帰ることに成功する。

この点が、後述する「MOONSTONE」という船の名前にリンクするというミラクルが起きている。すごい偶然!!

 

 

3. MOONSTONE

dunkirk-the-movie.com

 

ミスター・ドーソン、ピーター、ジョージを乗せてイギリスから出発する遊覧船。


アメリカのアポロ計画を引き合いに出すのは流石に拡大解釈が過ぎるにしても、「月の石」という名前の船でドラマが展開されれるのはとてもいいと思う。

 

まるで「民間の遊覧船がドーバー海峡を渡って戦争真っ只中のダンケルクに行って、兵士を乗せて、Uボート爆撃機の攻撃をかいくぐって生きて帰ろうなんて、奇跡か魔法でも怒らない限り無茶だ。そんなの、月に行って石を拾って帰ってくるようなものだよ」とでも言いたげな意図を感じる。本作で描かれたダイナモ作戦は稀有にして勇敢で、イギリス人としては全人類に誇りたいようなエピソードなんだと思う。

 

だから、この映画の制作陣から、1940年に実際にその場で作戦に関わっていた人たちへの惜しみない敬意を込めたエールとして「Moonstone」という名前の船に海・空・防波堤のそれぞれの登場人物が集まっていく映画になっているんだと解釈している。

 

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そんな風に、ディテールを読み解くことでストーリーや背景などいろいろな点が立ち上がってくる作品ってとってもいいなぁと思う。2017年に観た映画のなかでも、特に印象深くて思い入れの強い一本になった。

【劇場版・虐殺器官】心の痛覚を失くしていくこと

2017年の上半期に観た映画で、ラ・ラ・ランド虐殺器官がひたすらよかった。どちらも2月に観た。

個人的上半期ベスト作品のレビューみたいなノリで、後者について書いておこうと思う。

虐殺器官は、まず、告知ポスターがカッコ良すぎる。

 去年の秋にこのビジュアルが公開された時点で滅茶苦茶テンション上がっていた。パイロットスーツ姿が地上降下用ポッドに乗り込むシーンを想起させて、棺桶に身を納めて地獄にダイブしていくミッションの緊迫感が伝わってくる。

 

もともと原作の小説がとっても好きで、

(このへんから超ネタバレなのでご注意ください)

 

 

ミリタリー小説としての重厚感がまずあり、さらに言語をSFの題材にするという斬新さ・奥深さに惹き込まれた。その上で主人公のクラヴィス・シェパード大尉が肉体的にも精神的にも「痛みを感じなくなってしまうこと」がキーになっているストーリーなんだと分かって、それがよく出来てるなと思った。

 

ラヴィスが所属する特殊戦闘部隊では、作戦行動円滑化のために痛みを鈍化させる「痛覚マスキング」なる施術が導入されている。

人間の脳においては「A. 痛いかどうかを感じる部位」と「B. どれくらい痛いかを感じる部位」が別々にあり、A. を活かしつつB. の働きを鈍らせれば「痛いということは知覚できるけど、その痛みの大きさがゼロだから認知・判断に影響しない」状態になれる。カウンセリングや薬物投与によって脳機能を調整し、そんな状態を作り出すのが痛覚マスキングだ。クラヴィスが人間らしい感情を抑制して無慈悲な兵器・殺戮マシーンとしての役割を背負わなくてはならない、重たい運命を決定づける手続きとして登場する。

 

一方、クラヴィスは自分の選択によって人の命が奪われることへの罪の意識を強く抱く人物だった。母親の延命治療を拒否したことや、チームの仲間が死んでしまう場面を振り返るときにそんな一面が伺える。

 

しかし物語の結末時点では、クラヴィス自身が引き起こした災厄的暴動に対し、彼にとってはそれが生活雑音ぐらいにしか思えなくなるような無関心さが育まれてしまっていた。言わば、精神が痛覚マスキングされてしまっていた。そんな風に肉体的な痛みの消失と、心の痛みの鈍化・希薄化がリンクして描かれているのがシビれる。

 


では劇場版はどうだったかというと。
心の痛みがなくなってしまった状態を、観客である自分が体感できる瞬間があって本当にゾクゾクした。

具体的には、少年兵がシューティングゲームの標的みたいにクラヴィスの一人称視点で射殺されて次々と崩れ落ちていくシーン。残酷で非道なことが起こっているにもかかわらず、クラヴィスのやっていることがシステマティックで無感動な処理として描かれていて「子供を殺害する」という痛ましい行為が「標的を攻略する」だけの効率重視な障害除去作業のように思えた。

 

そんな風に見えるのは、観客である自分の判断から正常さが失われ、酷いことが酷いと判らなくなっているのではないか? という問いが観ているうちに沸き起こった。背筋を冷たいモノが走るのを感じながらスクリーン上の動きを追っていた。

 

時計じかけのオレンジ」冒頭30分くらいを観ていて、「こんな不道徳で残酷な仕打ちがメチャクチャ楽しそうに見える自分は、異常なのか?」と思えてしまったときの感じに通じるゾクッとした空恐ろしさがあった。


今振り返ると、劇場でこの作品を観たときは残業時間が多いシーズンだったので疲れていて、刺激的な映像がひときわ劇薬みたいに効くコンディションに自分がなっていただけかもしれない。でもそれを差し引いても、原作の重たく大きなテーマを映像で語って観せたシーンには強いインパクトがあった。


それと、クラヴィスが同僚と家でピザを食べながらアメフトを観戦しているシーンについて。

アメフトの映像には、まったく別の作品の映像が誤って挿入されているかのような、突き放されたよそよそしさがあった。これはクラヴィスにとっての「任務で何かひどいことがあると、漫然とした怠惰な時間にくるんで曖昧にして忘れようとしてきた」モードの映像表現だと思った。主人公たちを取り巻く現実とは無関係な映像にフォーカスすることで、悲痛な現実がアメフト会場の歓声と実況音声に埋もれて気にならなくなるような、メリハリのない対処療法として描かれている、と感じた。

 

それはそれで、クラヴィス自身に元来、心の痛みを鈍らせるスキルがあったことの示唆のようにも読み取れる。

 

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公開前から、中村悠一さんと櫻井孝宏さんが両主人公を演じるという時点で (ガンダム00グラハム・エーカーPSYCHO-PASS槙島聖護が激突するみたいでめっちゃテンション上がってた) かなり期待してたけど、裏切らずに圧倒してくるクオリティですごく良かった。

 

観終わってから「ヤバイものを観た……」と半ば心を空っぽにして西宮北口駅に向かっていたのを今でも覚えている。

【ラ・ラ・ランド】音楽とシーンのリンクが面白い。

2017年2月末に「ラ・ラ・ランド」を観た。音楽が鳴り始めたり止んだりする瞬間がストーリーを語る役割を果たしているように見えて面白かった。
印象的な3つのシーンについてメモ。

 

〜超ネタバレしてるのでご注意〜

 

① 夏。サンプラーで人工的なビートが鳴り始めるところ

セブがキース(ジョン・レジェンド)に誘われたバンドで、初めてスタジオ練習する場面。曲展開が変わるタイミングでシンセ・パッドが押され、打ち込みフレーズが再生される。

セブは戸惑いながらも、うまくついていくようにピアノを演奏し続ける。
違和感を抱きながらも自分をフィットさせてていく。

 

他人があらかじめ組み立てたリズムに同期することを強いられるというのは、その後に待ち受けているツアー生活のスタイルについても当てはまる。誰かが決めたタイムスケジュールに合わせて、不自由を乗りこなしながら演奏を続けなくてはいけない。

打ち込みビートに合わせて演奏するスタイルが、ツアー生活のメタファーになっているのが面白かった。


② 秋。音楽が鳴り止んでもレコードが回っているところ

夕食のテーブルで口論になるシーン。
気まずい雰囲気を強調するように静寂が訪れる。

音楽が鳴り止むのは、自分の中に描いていた夢やビジョンの行き詰まってしまうことの示唆だと思った。
でも、円盤は回り続けていた。2人の溝が埋まらないまま、生活が続くことを雄弁に語るみたいに。

せつないなぁ

 

③ 5年後の冬。ピアノに向かって「1, 2, 3, 4」とカウントを取るところ

②で書いたように、音楽の停止を夢やビジョンの行き詰まりと捉えれば、反対に自分なりの合図で演奏を開始するシーンは、自分の描いた人生が動き出していくことのメタファーとして解釈できる。

それが、ラストの直前にセブがさりげなく唱える「1, 2, 3, 4」だと思う。
自分のタイミングで、自分が決めたBPMで人生が動き出していく瞬間だ。


「セッション」での「1, 2, 3, 4」というカウントは、フレッチャーの鬼指導の象徴として (ビンタとセットで)登場していた。

一方「ラ・ラ・ランド」では、セブが自分の場所で、自分のリズムで、自分の人生のための音楽を鳴らす合図としてカウントが発せられた。本作のシナリオにはミアとセブが結ばれない切なさがあるけど、それぞれ自分のやりたいことを追いかけられるってすごく素敵じゃない? という見方もできる。

ミアは役者らしく、含みのある表情で振り返って立ち去った。
セブはミュージシャンらしく、バンドのメンバーと呼吸を合わせ、カウントを取って演奏を始めた。

それぞれすごくカッコよくて、良い終わり方をするポジティブな作品だと言えるんじゃないかなと思う。

 

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ちなみに映画の内容とは関係なく、公開初日のことを思い出していた。

2017年2月24日 (Fri)がラ・ラ・ランドの公開初日。この日、世間ではプレミアム・フラデーが初めて施行されるということで「早く退社して飲みにいくんじゃね?」という空気が職場で醸成されていた。

 

でもでもこの日、ほかにいろんなイベントが被りまくっていた。

ライブ観に行くとしたら大阪に出る身なので体がいくつあっても足りんじゃないかと思ったが、結局ジェイムス・ブレイクを選んだ。とてもよかった。そんな風にイベントありまくりなので、少なくとも会社の飲み会に行ってる場合なんかじゃなかった。早めに退社してる人もいなかったんだけど。

 

ベストアルバム2016 (後編)

前半は こちら

 

それでは5枚目から続きを紹介。


5. LILI LIMIT「a.k.a」

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このレビューを以下に載せていただきました。

(アルバムはランキング82位)

ongakudaisukiclub.hateblo.jp


自分の書いた内容を上記サイトから引用掲載。

「ぷらナタ」でバンドがわたきゅう(私を構成する9枚)を挙げていた時、Bloc PartyやThe 1975、Galileo Galileiが入っているのを見て「なるほど!!」と思った。ギターも打ち込みも声もバランス良く、シンプルなシルエットで風通しの良い洗練された音になっている理由が分かった。そういう音楽的指向を背景にして、キッチンとか部屋とか、よく馴染んだ日常の中でポートレートを美しく切り出したような音楽が鳴っている。日々が肯定される、確かな暖かさをくれるアルバムだ。

ちなみにこのバンドには、イノセントな声でわたし目線の歌を歌い上げるダンディーなボーカルと、後ろ姿は女子なギタリストと、キレイなベーシストと超チャーミングなキーボーディストと年上のドラマーがいる。見ていてとっても楽しい。

メンバーそれぞれのキャラが立っていて、とてもいいバンドだと思う。 

 


6. D.A.N「D.A.N」

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このレビューを以下に載せていただきました。
(アルバムはランキング8位)

ongakudaisukiclub.hateblo.jp


自分の書いた内容を上記サイトから引用掲載。

足元を揺らす波に浸っていたら心地良くて、いつの間にか胸元まで水が満ちてきていた。ひやりとした透明な水に柔らかく抱擁されていた。そのまま、たゆたっていたいと願った。

ループするフレーズのアイデアを元にダンサブルなグルーブをイチから立ち上げてゆき、じわじわと大きな渦を作り出していくD.A.Nの音楽は、僕をそんな体験へと誘ってくれた。アルバム序盤の曲が、徐々にBPMを上げて行くように配置されているのがとてもニクい。

短い時間に目まぐるしく展開を詰め込んだり、フェスで乗れるように速いテンポで4つ打ちを繰り出したりするトレンドが、過去のものとして決定的に相対化された気がした。

 


7.  Porter Robinson & Madeon「Shelter」

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ポーター・ロビンソンがディレクターを務めたオリジナルアニメのテーマ曲。

 

www.youtube.com

 

物語自体はとても悲しいけど、春の木漏れ日のような暖かさをが機械の中に宿っているような様を見事に描いたキュンキュンする曲だ。

2017年に入ってから、w-inds.橘慶太さんがアルバム「INVISIBLE」収録の製作過程でボーカルドロップのエフェクトに影響を受けたと語っていたり、東京女子流predawn」の音像・雰囲気がこの曲に通じてたりしていた。後から振り返ったときにはこの「Shelter」が、J-POPの転換点において重要な参照点になっているかもしれない。


8. a flood of circle「BLUE」

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映像作品「THE BLUE MOVIE - 青く塗れ! - 2016.06.04 Live at 新木場STUDIO COAST」のボーナスディスクに収録されている曲。同時期に配信でもリリースされた。


バンドがデビュー10周年の節目を迎えた2016年。
過去を振り返るのではなく、新しい一歩を踏み出し続けたいという熱い思いで生まれた大名曲。

AFOCはメンバーの失踪・脱退を経験し、順風満帆には程遠い険しい道をずっとずっとずっとずっと転がってきた。それでも、それでも佐々木さん(Gt, vo)は立ち止まらずに曲を書き、ライブを演り、音楽を届け続けている。

そんなバンドだからこそ憂鬱のブルーを超えて、未完成で青いままの自分たちが持っている可能性の先へ行きたいという真っ直ぐな情熱がダイレクトに歌われている。

ロンドンでのレコーディングに挑むことで生じた環境・心境の変化が、風通しの良い爽やかなギターの音に反映されているのが良いと思う。開放感のあるサウンドのおかげで真面目な歌詞の堅苦い印象が緩和され、むしろ熱を帯びた切なさが良く伝わってくる。

 AFOCはベスト盤のタイトルが「THE BLUE」だったり、「青く塗れ」という曲をリリースしていたり、そしてこの曲「BLUE」があり、青色に強くこだわっている。

そこには自分たちが

  • 成熟/大成しきっていないこと
  • 青春の只中にいること (= 心が若い状態であること)
  • ブルースをルーツとしてきたこと

を込めていると佐々木さんはラジオやインタビューで語っていた。
そこに付け加えることが1つある。赤い炎よりも熱いのが、青い炎だ。
どこまで熱く走り続けていってほしい。



9. Armin Van Buuren「Sail」

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これだけは過去の作品。2006年リリース。
ULTRA JAPAN 2015でヘッドライナーの1人を務めた、Armin Van Buurenによるトランスの曲。

2016年になってこの曲を知ったのは、Twitterで「わたしを構成する9枚」ハッシュタグが盛り上がってたのがきっかけ。1月頃、写真が趣味な先輩がこの「Sail」を挙げていた。Arminの名前は聞いたことあったけど曲まではあまり知らなくて、これから聴いてみようとなった。

もともとトランスというジャンル自体が好きだった。今の主流のダンスミュージックよりもBPMが早くてシンセの音も派手で、躁状態のトリップ感をガンガン味わえる。Ferry Corstenやglobeのトランスリミックス盤をすごく気に入って聴いてた。

この「Sail」はそんなに派手ではないインストゥルメンタルトラックだけど、1パターンのコード進行を繰り返す中でドラマチックな高揚感に浸らせてくれる、9分間があっという間に過ぎる曲。

タイトルの通り大海原のド真ん中にいるようなイメージの曲なんだけど、視界一面に青空と海しか無いような茫漠とした場所に、たった1人で小舟で放り出されているような孤独感・不安・虚無感を掻き立てられる。それでも、茫漠としたブルーの向こうに自分以外の誰かが待っているような一筋の希望が感じられる。
 
 電車の窓から真夏の青空を眺めながらこの曲を聴いていると、心が溶け出していくような堪らない気分に何度もなった。

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そんなわけで2017年も9月になり、今頃かよ!! というタイミングなんだけど記事としてまとめることができた。テキスト自体は年明けからチマチマ書き始めていて、温め続けてたらこんな時期になった。

イムリーに書くようにしたい。

 

ベストアルバム2016 (前編)

2016年に良く聴いた音楽について。
アルバム・シングル・旧作含めてハマった作品を並べるとこんな9枚になった。

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(うち1枚は2006年にリリースされた旧作。)

 

まずは4作品についてこの記事で紹介~

 

 

1. 宇多田ヒカル「fantome」

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 もともと宇多田ヒカルの好きなところは、歌とアレンジとトラックのクオリティに「この人のチームに勝てる国内アーティストは誰一人として見つかりません」と降参せざるを得ないような、圧倒的な説得力があることだった。

 そんな説得力を活動休止の間に微塵も損わないどころか、これまでの曲に宿っていた都会的な圧迫感・せせこましさ、人工的な冷たさではなく、生の実感を躍動感で表現するような解放的な音色で新しい魅力を打ち出してくれた。

 過去の曲では緻密な仕掛けによって高揚感と空虚感を同時に表現するアレンジもあった(※)が、今回はストレートに素直に盛り上がっていくような展開が多く、それが生音中心の曲調と非常に良くマッチしていると思う。

 「ニ時間だけのバカンス」を聴いていると、このままどこまでも圧倒し続けて欲しいと思ってしまう。
 
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※過去曲、たとえば「traveling」でいうと具体的にはこんな箇所。
 イントロから「ヒュイイイイイイイ」という甲高い風のような音が背景で鳴っている。この効果音は「♪ふいに 我に 帰り くらり」あたりから音程が上がって行き、サビに向かってガーーーーッと盛り上がっていくように期待させる。けど、その期待感を敢えて裏切るように「春の夜の 夢の ごとし」のところで一旦勢いを萎ませて、 あれ!? と思わせたところで1, 2, 3, 4!! とカウントを取るようにハイハットが4拍鳴り、勢いをつけてサビに突入する。そんな風に歌詞とリンクした感情の抑揚をアレンジで見事に表現していた。メチャカッコよかった


2. The 1975「I like it when you sleep for you are so beautiful yet so unaware of it」

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「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。」というアルバムタイトルは、ピュアラブまっしぐらで超ロマンチックだなぁとばかり思っていた。でも「Unaware = 気づいていない」という言葉が焦点の定まっていない感覚を言い当てていて、こちらの思惑に相手が全く気がついていない状況のような、やんわりとしたすれ違いを表現したものだと今では解釈している。

 80’s ポップスとアンビエントが出会って生まれた夢見心地なサウンドはそんな焦点の合わない感覚に対してすごくしっくりくるし、すれ違いから現実逃避するために心の中に立ち現れる桃源郷をも美しく描き切れるようなパワーが感じられる。

今の世代で自分が一番好きなUKバンドが期待を大きく越える新作を出してきたということで、ここから先が明るく開かれたような気分で聴いていた。

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このアルバムについて「音がクールでカッコいい」というだけで滅茶苦茶気に入って2016年の間ずっとノリノリで聴いてた。でもあんまり歌詞について深追いしてなかったので、今回改めて歌詞カードを読み直して気づいたことをメモ。

 リードトラック ”The Sound” では「君がそばに来ると分かるんだ 君の心臓の音を知ってるから」というBUMPみたいな力強い歌詞が冒頭からリフレインする。これは強い信頼とか愛の曲かな!? と思わせておきながら、実際には壊れて戻らない関係性を歌っている。「君がもしそばに来たらきっと分かるよ (もう来ないはずだけど)」というような状況の歌だった。

 アルバムの随所で「君は自分を心配してくれるけど、もうこっちは心変わりした」「気が動転して、自分の頭がおかしくなったみたい」「君にはもう他の誰かがいるって気づいた」などなどと歌い、特定の相手との関係性にフォーカスすることのない、ハッキリしない感情を描いている。そういうボヤけた感情で生じた「こじれ」 が “The Sound” で明確化する構成になっているように思えた。

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3. n-buna「月を歩いている」

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ボカロでギターロックをやっている作品。
ギターやピアノの音色の暖かさと、初音ミクの声が持っているピュアでイノセントな雰囲気が、春をイメージした曲中の物語に見事にマッチしている。もうじき桜が咲きそうな季節の独特の切なさが好きな方なら、誰にでもオススメできる。

ボカロシーンについては柴那典さん「初音ミクはなぜ世界を変えたのか? (2014)」を読んで概要知ってた程度で、全然詳しくなかった。

1. 歌によって物語をプレゼンするキャラクターとしてミクがいる
2. 情報量(音数)が多い

という特徴は知っていた。
そのイメージとアルバム「月を歩いている」がどう対応にしていたかについて。

1. 歌で物語をプレゼンしている という点に対して
 このアルバムでは「シンデレラ」「オオカミ少年」「白雪姫」「赤い靴」「かぐや姫」などの童話をモチーフにして、喪失や別離のストーリーが描かれている。全ての曲が、何か知らのフィクションを届けるために鳴っている。

そうやって物語を届けるために歌があるスタイルについて、n-buna氏本人による自己批評的なテキストが歌詞カードに記されていた。「いくつもの物語を作った。いずれも、追憶の中の “君” の代替品として生み出されたキャラクターを誰かが探している話だった。単調な複製でしか無かった」と読み取れる内容だった。

物語を歌に込めて届けるプロセス自体の切なさを暴いていて、ゾクッとした。


2. 情報量が多いという先入観に対して
 この作品では音数は多くない。それがとても良い。楽器数やパート数を抑えて、ギター2本とベースとドラムとキーボードでライブ再現ができるレベルの構成になっている。

その結果生まれた音の隙間でミクの声の特徴的な震えが響くようになっていて、切なさ・やるせなさが増長されるようにアレンジが効いている。「楽器としての初音ミクの魅力」が詰まった作品になった。

 

4. Kygo「Cloud Nine」

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トロピカル・ハウスの旗手として注目されたトラックメイカー、Kygoの1stフルアルバム。BPMを抑え目にして豊かな音色やハーモニーを届けることにフォーカスしたダンスミュージックにが鳴っている。「癒し系EDM」かのようにして宣伝されていたけど、草原や風の香りが漂うような自然な雰囲気が心地良い。

笛のような音色のリフが主導する楽曲は、夏の終わりよりもむしろ秋~冬にかけての雰囲気にマッチするなと感じた。

 

後編へつづく。