【劇場版・虐殺器官】心の痛覚を失くしていくこと
2017年の上半期に観た映画で、ラ・ラ・ランドと虐殺器官がひたすらよかった。どちらも2月に観た。
個人的上半期ベスト作品のレビューみたいなノリで、後者について書いておこうと思う。
虐殺器官は、まず、告知ポスターがカッコ良すぎる。
【新ビジュアル&公開日解禁!】「虐殺器官」劇場公開日は2017年2月3日(金)に決定!
— 「虐殺器官」BD&DVD10.25発売! (@PJ_Itoh) 2016年10月31日
あわせてredjuiceさん描き下ろし新ビジュアルも解禁となりました!https://t.co/aB1yOPPNKT #PJ_Itoh pic.twitter.com/iUDUzMCTTf
去年の秋にこのビジュアルが公開された時点で滅茶苦茶テンション上がっていた。パイロットスーツ姿が地上降下用ポッドに乗り込むシーンを想起させて、棺桶に身を納めて地獄にダイブしていくミッションの緊迫感が伝わってくる。
もともと原作の小説がとっても好きで、
(このへんから超ネタバレなのでご注意ください)
ミリタリー小説としての重厚感がまずあり、さらに言語をSFの題材にするという斬新さ・奥深さに惹き込まれた。その上で主人公のクラヴィス・シェパード大尉が肉体的にも精神的にも「痛みを感じなくなってしまうこと」がキーになっているストーリーなんだと分かって、それがよく出来てるなと思った。
クラヴィスが所属する特殊戦闘部隊では、作戦行動円滑化のために痛みを鈍化させる「痛覚マスキング」なる施術が導入されている。
人間の脳においては「A. 痛いかどうかを感じる部位」と「B. どれくらい痛いかを感じる部位」が別々にあり、A. を活かしつつB. の働きを鈍らせれば「痛いということは知覚できるけど、その痛みの大きさがゼロだから認知・判断に影響しない」状態になれる。カウンセリングや薬物投与によって脳機能を調整し、そんな状態を作り出すのが痛覚マスキングだ。クラヴィスが人間らしい感情を抑制して無慈悲な兵器・殺戮マシーンとしての役割を背負わなくてはならない、重たい運命を決定づける手続きとして登場する。
一方、クラヴィスは自分の選択によって人の命が奪われることへの罪の意識を強く抱く人物だった。母親の延命治療を拒否したことや、チームの仲間が死んでしまう場面を振り返るときにそんな一面が伺える。
しかし物語の結末時点では、クラヴィス自身が引き起こした災厄的暴動に対し、彼にとってはそれが生活雑音ぐらいにしか思えなくなるような無関心さが育まれてしまっていた。言わば、精神が痛覚マスキングされてしまっていた。そんな風に肉体的な痛みの消失と、心の痛みの鈍化・希薄化がリンクして描かれているのがシビれる。
では劇場版はどうだったかというと。
心の痛みがなくなってしまった状態を、観客である自分が体感できる瞬間があって本当にゾクゾクした。
具体的には、少年兵がシューティングゲームの標的みたいにクラヴィスの一人称視点で射殺されて次々と崩れ落ちていくシーン。残酷で非道なことが起こっているにもかかわらず、クラヴィスのやっていることがシステマティックで無感動な処理として描かれていて「子供を殺害する」という痛ましい行為が「標的を攻略する」だけの効率重視な障害除去作業のように思えた。
そんな風に見えるのは、観客である自分の判断から正常さが失われ、酷いことが酷いと判らなくなっているのではないか? という問いが観ているうちに沸き起こった。背筋を冷たいモノが走るのを感じながらスクリーン上の動きを追っていた。
「時計じかけのオレンジ」冒頭30分くらいを観ていて、「こんな不道徳で残酷な仕打ちがメチャクチャ楽しそうに見える自分は、異常なのか?」と思えてしまったときの感じに通じるゾクッとした空恐ろしさがあった。
今振り返ると、劇場でこの作品を観たときは残業時間が多いシーズンだったので疲れていて、刺激的な映像がひときわ劇薬みたいに効くコンディションに自分がなっていただけかもしれない。でもそれを差し引いても、原作の重たく大きなテーマを映像で語って観せたシーンには強いインパクトがあった。
それと、クラヴィスが同僚と家でピザを食べながらアメフトを観戦しているシーンについて。
アメフトの映像には、まったく別の作品の映像が誤って挿入されているかのような、突き放されたよそよそしさがあった。これはクラヴィスにとっての「任務で何かひどいことがあると、漫然とした怠惰な時間にくるんで曖昧にして忘れようとしてきた」モードの映像表現だと思った。主人公たちを取り巻く現実とは無関係な映像にフォーカスすることで、悲痛な現実がアメフト会場の歓声と実況音声に埋もれて気にならなくなるような、メリハリのない対処療法として描かれている、と感じた。
それはそれで、クラヴィス自身に元来、心の痛みを鈍らせるスキルがあったことの示唆のようにも読み取れる。
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公開前から、中村悠一さんと櫻井孝宏さんが両主人公を演じるという時点で (ガンダム00のグラハム・エーカーとPSYCHO-PASSの槙島聖護が激突するみたいでめっちゃテンション上がってた) かなり期待してたけど、裏切らずに圧倒してくるクオリティですごく良かった。
観終わってから「ヤバイものを観た……」と半ば心を空っぽにして西宮北口駅に向かっていたのを今でも覚えている。