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【新感染 (부산행)】誰かを犠牲にして前進し続けるのってシステム開発の現場みたいだ

「新感染 ファイナル・エクスプレス (Train to Busan)」について。

 この記事のタイトルから「仕事がゾンビ退治みたいな際限なきクソゲーでつらいお」という印象が醸し出されているかもしれないけど、せっかく良い映画を引き合いに出すので前向きな話に纏まるように書こうと思う。映画の中の舞台設定やセリフと、仕事で直面する業務の様相を関連付ける。

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システム開発・維持の仕事をしてると、過去に混入したバグが掘り起こされたり、急な客先の仕様変更要求が発生したりして、改修・リリース作業が後から後から沸き起こる。まるで次から次へと襲い掛かってくるゾンビを相手にしているみたいで、働いている限りそんな終わりの見えない消耗戦を続けなければならないのだろうかと思うことがある (品質管理と客先調整の不足によって案件が望ましく無い状態に転がり落ちてしまったケースなのだけど、業界的には結構よくある状況なのかもしれない)。

 

10月中旬、予告編が面白そうだったので映画「新感染 ファイナル・エクスプレス」を観てきた。狂暴なゾンビが次から次へと襲い来る作品だった。

 

【作品概要を自分なりに要約】
韓国の高速鉄道: KTX。時速300 km台のハイスピード閉鎖空間で「ゾンビに噛まれるとゾンビ化する」という謎のウィルス感染症が爆発的に拡大。乗務員も乗客も次々と、人間を発見するや否や雪崩を打って襲い掛かる怪物に成り果ててしまった。娘を連れてKTXに乗車したサラリーマン: ソグ、屈強なコワモテおじさんのサンファと妊娠中の妻ソンギョン、そして野球部の高校生たちは、ゾンビに対して数でも暴力性でも圧倒的劣勢の中で、終点・釜山まで生き抜こうとする。


【主要登場人物紹介】
■ソグ
サラリーマンで妻と別居中。ソウルにいる母親に会いに行くため、娘とKIXに乗る。
(吹き替え声優は中村悠一だ!!)

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■スアン

ソグの娘。釜山にいる母親に会いたがっている。

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■サンファ
下記・ソンギョンは妊娠中の妻。

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このサンファではない (蛇足)

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■ソンギョン
(吹き替え声優は坂本真綾だ!!) 

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■野球部の少年、ヨングク

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■ヨングクの彼女、ジニ
(なんかこの子の顔すごくタイプだ) 

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ソグとサンファとヨングクがいるデッキから、スアンとソンギョンとジニのいるデッキとの間にはいくつかの車両があり、どの車両も感染したゾンビでいっぱいになっている。サンファの筋肉と男気と勇気を前面に押し出し、ソグがゾンビたちの習性を利用して出し抜くクレバーなアイデアを実行し、それぞれの大切な人に会えるようにゾンビ達に立ち向かう。メンズ達は身を危険に晒し、自分が犠牲になる危険性も厭わずに、狂暴な怪物たちでひしめく車内を切り抜けていく。

 

観終わってから、仕事の状況について改めて見つめ直してみた。システム開発の現場でも、誰かが犠牲になって道を切り拓かなくてはならない状況が常にある。目立ったトラブルがなくても「客先要望に曖昧さがあるので確認してほしい」とか「開発環境のライセンスの期限が切れるから延長手続きしてほしい」とか「バックアップ用ツール追加するからネットワーク構成決めてほしい」とか諸々のタスクがチームに次々と降りかかる。

 

そういうときには開発チームの誰か1人に「君はプログラムを触らなくていいから、いろいろ面倒なことを処理して、開発が前に進むように障壁を除去してくれ」という役割を担わせるパターンが適用される。システム開発というイバラの道を突き進むため、ナタを振るって前方の障害を除去させるべく誰かひとりに「犠牲」になってもらう。

 

前述のように不具合や仕様変更が次々と発生したなら、先頭の犠牲者は早期に対処方針や期限を決めて調整しなければならない。だから開発の現場は「仕事を押し付けられまくって過労寸前まで働いちゃうヤバイ人」という意味の犠牲が出なくても、誰かが犠牲になって回っている。

 

(この「犠牲」の人は、開発スタイルによっては「スクラムマスター」と呼ばれたりするけどそれはまた専門的な別の話。)


んで、情報システムを扱っている会社というのは若手社員にいきなりこの「犠牲」役: ナタを振るってイバラを落として進む役を与えたりする。単に人手が足りないとか、プログラミングは外注するから取りまとめが主な仕事になるとか、そういう事情により僕もそういうポストに収まってしまった (入社3年目から)。
とてもめんどくさい仕事だと常々思っている。

 

そんな中で観た「新感染」劇中、特に印象的なセリフがあった。父親同士であるサンファとソグの会話。ソグの家庭事情を知ったサンファはソグに

 

「父親ってのは (妻や子供に)反対されようが犠牲になるもんだ。」

 

と告げる。

これは「今、ゾンビだらけの車内では俺たちが戦わなくてはいけない」という状況と、普段の家庭生活の中で「父親という役割を全うするには、妻や子供に気に入られないことがあっても、面倒なこと・つらいことを引き受ける犠牲になる必要があるんだ」という暖かいアドバイスが重ねられたセリフになっている。

 

物語では最終的に、サンファは妻を・ソグは娘を勇敢に守り抜いてみせる。


それで気づかされたのだけど、前述の「誰か1人を犠牲にする」パターンで戦っている人物は、製品なりサービスなりが無事にリリースされるように「お父さん」役を任されていると言えるんじゃないか。自分がプログラムを書くわけじゃないから、ものづくりの楽しみとは無縁だ。だけど、そういう人がその開発現場を支える柱になっている。

 

自分がまさにそういう仕事をしているので「俺が柱なんだぞ」なんて大きなことはとても言えない。現場における父親 = 大黒柱と言えるような大きな存在にはなれる気がしないし、なれるとしてもきっとすごく時間がかかると思う。でも、自分の選択と行動によって、自分の後ろを誰かが歩いてくれるという確かな達成感をささやかでも抱いていいような実感が湧いた。映画によって業が肯定された気分だ。


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全然関係ないのだけどこの作品、登場人物が使ってるスマホはどれもiPhoneじゃなくてサムスンのでかいやつなので、流石韓国だなぁと思ってしまった。自分はずっとiPhone 5Sを使っているのだけど、他人から「電話だよ。代わって」とAndroidの大きめのやつを渡されると「重っ!!」てなる。でもそれは僕が貧弱なだけかもしれない。父性を発揮するには到底腕力が足りない。