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好きな映画、音楽について

【スリー・ビルボード】レッド君のオレンジジュース

2月11日に「スリー・ビルボード」を観てきた。
シネコンで15:45〜の回だったのだけどなんと完売。人気の高さが伺えた。

 

はじめはフランシス・マクドーマンド演じる主人公ミルドレッドの、強い意志の力を持った母という面に惹かれていた。けど話が進むにつれて、ことはそう単純でもなくて、「善も悪も立場・状況・見方によって変わってしまうものだ」という言葉ではよく知ってるつもりのことがキャラクターの悲痛な現実として迫ってきて、どうしようもない悲しさを描く一方で人の優しさ・暖かさが垣間見えるのがとても良かったと思う。
なかでも印象的なシーンについて取り上げたい。

 

【以後、作品シナリオの核心に触れています】

 

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(レッド・ウェルビー) 


火炎瓶投げ込みにより火だるまになったディクソンがミイラのように包帯を撒かれ、自分が暴行を加えたレッド・ウェルビーと同じ部屋のベッドで休むことになる。新しいルームメイトが自分の仇敵とは知らないレッドは「オレンジジュース飲む? ストローもあるよ」とディクソンに勧める。ディクソンはレッドを暴行したのが自分であると明かし、レッドは怒りに震える。

 

このくだりを劇場で観ていたとき、レッドがグラスに注いだオレンジジュースをディクソンにぶっかけて、傷口にジュースが染みる痛みにディクソンが悶え苦しむような絵面を予期してしまっていた。しかしそうはならず、ディクソンの方にストローを向けてグラスを置いてあげた。

 

ここですっごくじんわりした。怒りの連鎖を断ち切ったレッドの勇気に震える。レッドを暴行したディクソンが焼かれる展開には、因果応報とでもいうような納得感があったけど、「怒りはもっとひどい怒りを生むだけ。でも赦しと愛は、もっと大きな寛容さと愛おしさにつながっていく」という言葉*1が言い当てているように、レッドが暴力を捨てることによってディクソンを変えてみせた。

 

そのシーンで渡されるのが「オレンジ」ジュースというのがいいんだ。

 

道路脇に掲げられた3つの看板は赤地に黒文字だったけど、この赤は「怒り」のイメージとして使われていたと思う。そんな赤い看板に端を発するネガティブの連鎖で暴行を受けた、レッドの中に生まれた真っ赤な怒りをマイルドに抑えて、「明朗さ」「希望」を表す黄色をブレンドして出来たような「オレンジ」のジュース。橙色の「活力」「元気」のイメージが、ディクソンが回復してその後活躍していく展開ともリンクする。さらに色だけじゃなくて味についてもいうと、オレンジジュースの酸っぱさ・酸味が (レッドにとってもディクソンにとっても)自分の痛みが消えない悔しさとリンクしているように読み取れた。

 

"forgive" という単語は for (完全に)-give (与える)というのが語源で「赦す」という意味になっている ("forever"は for (完全に)-ever (どんなときでも)で『永遠』になる。そんな風に "for" は『完全』を表すらしい)。

 

自分を痛めつけた相手を赦す・復讐を放棄するというのは、暴力を受けたことを黙って見過ごすことではなく、この場合には相手の痛みにも向き合って、相手がその痛みから元気になるきっかけを与えることなのだと思う。ジュースを渡すなら、ただグラスに注いで置くのではなく、ストローを挿して、相手の手の届く場所に置いて、相手の顔の方にストローを向けてあげる……という行き届いた思いやりで、自分にできることを「完全に与える」ことこそがforgiveなんだと思う。そうやって「僕は君の敵じゃない」という想いをグラス一杯のオレンジジュースに乗せて伝えることで、酷く惨い世界にもやさしい光を灯すことができる。


レッド君を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズは「ゲット・アウト」でジェレミー兄ちゃんを演じていたけど、主人公にハッサクないし夏みかんを彷彿とさせる黄色い固そうな玉で頭をぶん殴られていたはずだ。オレンジと繋がりの深い役者なのだろう (強引だけど)。

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(ジェレミーアーミテージ兄ちゃん)

 

 

 飲み物をプレゼントするシーンとして、ミルドレッドがレストランでワインボトルを提げて元夫 (と19歳のガールフレンド)のテーブルに向かうところもすごく印象深くて、あれもビンで元夫をバシーンと殴ってしまうんじゃないかとハラハラドキドキしながら観てた。そしたら「その子を大切にしなさいよ」と伝えてビンを置いていった。

 

この場面にもオレンジジュースのシーンと似た意味合いが見い出せる。相手に対する怒り・不満を抑えて、負の感情の連鎖をやさしさ・慈悲で包んで止めようとしてみせた。ワインだって酸っぱいしさらに渋みが加わるので、悔しさ・やるせなさは残る感じも通じている。


ただしオレンジジュースとワインでは時間・手間のかかり方が違っていて、それがミルドレッドにとっての苦難な時節の長さと重なるように思える。オレンジジュースは (実際の工程はそんなにシンプルでもないんだろうけど単純化すると)新鮮な柑橘をしぼったらできるけど、ワインはもっともっと長い時間をかけた発酵・熟成等のプロセスが必要になる。もちろんレッドの痛みがすぐに回復するということは無くて、横暴な警官に突然の暴行を受けたことで仕事が元のようにできるかどうかも定かでないし、後の人生にずっと残り続ける大きな心的外傷を負ったかもしれない。そういう点はオレンジジュースのようにリードタイムは短くない。いずれにせよともかく、レッドのトラウマはディクソンに急襲された日を起点とするものだ。

一方でミルドレッドにとっては、夫の暴力があったり、娘さんと口論していたり、娘は夫と住むべきなのかという葛藤を抱えたりと、家庭の問題として彼女の抱える苦しみ・痛みはレイプ事件の前々からあった。そんな昔からのことも含めて、長い期間いろいろあったことを受けても、元夫に怒りをぶつけるのではなく赦しを贈ったのがワインボトルを置くシーンだったと解釈している。実際にワインが生成できるほどの長い年月でもないかもしれないけど、レッドよりも人生経験の長いミルドレッドが、ジュースよりも長い時間をかけて生まれるワインのボトルを握っていったのは雄弁な演出だったと思う。


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ほか、この映画で印象的だった点。

■ミルドレッドの息子: ロビー役のルーカス・ヘッジス君。彼は「マンチェスター・バイ・ザ・シー」で複雑な年頃のティーンエイジャーを演じていて、それを刷り込みみたいにしてしまうのって良くはないんだろうけど「バイ・ザ・シー」での彼の役どころのイメージを持って本作を観ることで難しい家庭の印象がすんなり伝わってきた。そういえば彼が食べていたシリアル (ぶちまけられて髪に付着してしまう)はFruit Loopsだった。オレンジ、ワインときてここも果物。


■レイプ事件に遭った女の子の部屋にニルヴァーナの「イン・ユーテロ」のポスターがでかでかと貼ってあった。あれがめちゃくちゃいい。トガった女の子が聴いてそうというイメージもあるし、カート・コバーンが自殺する前に製作された最後のアルバムということもあって死・事件性を連想させる点も秀逸だと思う。「イン・ユーテロ」という単語は「子宮内」って意味なので経血・血肉から「赤」のイメージがある。看板は赤地だし、広告屋「レッド」って名前だし、何かと赤と関連づく。


■警察署でウィロビーとミルドレッドが話していて、会話の途中でウィロビーが吐血してしまうシーン。あそこで血を吐くまで、ウィロビーが喋っているときはくすんだ色の壁が背景になり、絵画的だった。絵というよりはむしろ、遺影のような静的なイメージに見えた。一方、ミルドレッドは窓の光を背にして座っている。自分の前に影ができるようなポジションだ。これは自分が選んだことがこれから自分に辛苦をもたらすことの暗喩のように取れた。

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オレンジジュースに話を戻す (雑談)。

日本の業界団体の独自ルールなのかもしれないが、オレンジジュースやグレープジュース等、商品名にジュースと書いていいのは果汁100%のものだけと決まっているらしい。だから100%より果汁含有量 (率?)が小さいタイプの商品はパッケージのどこにも「ジュース」とは書かれていない。小さい頃は果汁100%の「健康優良飲料でございます」的な優等生感よりも、なっちゃんバヤリースのジャンキーな親しみやすさの方が好きだった気がする。

 

今ではジュースよりもお茶を飲むことが多くなったのでオレンジペコ