【ブリグズビー・ベア】自分の中だけにいるヒーローのこと
この映画すごくよかったのでHPを見返してみると、ジェームズが俯き加減の神妙な表情をしつつめっちゃ可愛いブリグズビーTシャツ着てる写真があったりして和むよね。右手挙げてるやつ ∩(゚ω゚`)。
【以後、作品シナリオの核心に触れています】
作品シナリオの核心に触れているとは書いたものの、人物相関とか話の展開とかは脇に置いておいて、最後らへんのシーンの話だけしよう。
ようやく作り上げた映画をプライベートな上映会で披露することが実現したジェームスだが、自分の作品が酷評されることを恐れてトイレに篭ったりチケットカウンター周辺で黄昏たりしてしまう。しかしシアターに入ったジェームスはスタンディングオベーションで迎え入れられる。ステージ下手を見ると、そこにはブリグズリーがいて、左手のデバイスをピピピと操作して消えてしまう。
これって、ブリグズビーからジェームズに宛てて「君はもう、僕がいなくても大丈夫だよ」ってメッセージが届けられたみたいで目頭が熱くなった。ジェームスは「ブリグズリー・ベア」という番組のファンである以上に、キャラクターとしてのブリグズリーに対して強い愛着を抱いていた。決して諦めない勇気と信念を持ったヒーローとして。
そんなジェームスの前からブリグズリーが消えるシーンは寂しいお別れのようにも映った。でも、揺るぎない信念に突き動かされて、諦めずに自分の映画を作り上げてみせたジェームスは、ブリグズリーにも引けを取らない一人前の立派なヒーローだ。ジェームス自身が、自分の中のヒーローと同等の資質を獲得した: つまり彼自身がヒーローになれたからこそブリグズビーは安心して姿を消したのだと思う。そんな風に見えた。
作品のラストで
- 主人公を導いてきた存在が
- 主人公にしか見えない姿で現れ
- 主人公がそれを見て優しく微笑む
という展開を見て、僕はついつい「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」を思い出してしまった。エンドアの宴で霊体として現れるオビ=ワンとヨーダとアナキン (の、姿がセバスチャン・ショウからヘイデン・クリステンセンに改変された件*1はここでは気にしないでおくとして)、それを木陰から見て微笑むルーク……のシーンを連想した。マーク・ハミルつながり。
このときのルークは、かつての師や実の父親に胸を張って対面できる一人前のジェダイ・ナイトとしてそこにいた。その構図は、前述の「ジェームス自身がヒーローになってブリグズビーと顔を合わせる」感じと通じていると思う。
ルーク・スカイウォーカーはレイアやハン・ソロら反乱軍のメンバーと共に戦い、父親のダークサイドを葬ることに成功して、銀河に平和をもたらした。ジェームスはスペンサーやヴォーゲル刑事、そして妹達と一緒にクリエイションに没頭し、自分の過去にまつわるネガティブなイメージを払拭することに成功して、自分の居場所を作ることができた。架空のテレビ作品を見続けるシェルターではなく、他者と暖かく心を通わせることのできる、開放的な居場所。
ジェームスだけじゃなくて、役者として演技することが憧れだったヴォーゲル刑事 (イケボすぎる)、映画を製作したがっていたスペンサー、そして何より実の息子に会いたがっていた両親……みんなにとって暖かい居場所が立ち現れた。セラピストの先生は脱走騒ぎで困っただろうし、アリエルを演じた子持ちのダイナー勤務お姉さん (ホイットニー)はひょっとしたら不本意だったのかもしれないけどそういうのをわざわざ画面に映さないでおいてくれるところまでいいなぁーと思った。
ちなみにジェームスは何かを検索するとき、知りたいこと・やりたい事をそのままダイレクトにタイプしていた。これは本当に有効な方法だ。「検索ワードを思いつくのはリテラシーが高い人」といったような意図のツイートか文章を見たことがあって、実際そうなんだろうとは思う。だけど検索用にキーワードを抽出するのではなく、知りたいこと・やりたいことをそのまま打ち込めば、今時は検索エンジン側が超賢いので必要な情報は抽出してくれる。
そんな風に、システムまでもジェームスに味方してくれてた映画だなぁってことにすると味わい深い。