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【名探偵ピカチュウ】エンドロールで流れるKygo&リタ・オラ「Carry On」を切り口に作品と向き合う

先週土曜日、字幕版をレイトショーで観てきた。
もともと予てから、もしポケモンが実写化されたらヌルっとした質感が強調されてしまって、元のゲーム画面やイラストから伝わってきていた可愛さよりもケレン味が強いクリーチャーとして映像化されちゃうんじゃないかという想定をしていた。

 

でも、実際観てみたらフシギダネエイパムコダックゴルーグもいい感じに3DCG版としてアレンジされていたと思う。コレジャナイ感ではなく、なるほどこうなるのか!! な納得感があった。

 

エンドロールで流れるKygo&リタ・オラ「Carry On」がとってもいい感じの曲で、そこから連想する点から作品について考えたことを書き記しておきたい。

 

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【以下、作品シナリオの核心に触れています】

www.youtube.com

 

「Carry On」ではKygoのトラックの持ち味である、自然の広大さを感じさせるような開放感が、優しく包み込むように鳴っている。水平線の向こうに夕陽がゆっくりと沈んでいき、マジックアワーの空の色で辺りが穏やかに染まっている、そんな景色が浮かんでくる。パートナーと一緒に歩む果てなき旅路の半ばでそんな景色に出会えたらきっとすごくじんわりするね。

 

これまで自分はポケモンという作品の本質は「旅をすること」だと捉えていた。マサラタウンから離れて、選んだ相棒と共に旅立って、鍛えたワザで勝ちまくり、仲間をふやして次の町へ……という話の軸がゲームにもテレビアニメにも漫画「電撃!ピカチュウ」にも根本にあったはずだ。

 

旅路を想起させる、風と雲と冒険が待ってるようなスケール感のある「Carry On」がポケモンの映画の締めに流れる、それってすごくいいなぁと思った。


……でも、映画「名探偵ピカチュウ」のストーリーは大枠でいうと旅物語では無かった。そこに対して物足りなさを抱いたのも確かだ。けど、スマートフォンが普及して地球の裏側がGoogle Earthで眺められるようになった今という時代だからこそ「旅を描かないポケモン作品としての意味を考えたい。

 

劇中の世界線でも、おそらくかつてはポケモン図鑑を片手にポケモンマスターを目指すトレーナー達がいたのだろう。でも、どこにどんなポケモンがいるか、このポケモンはどんな特徴がある生き物なのか、という情報は時代が進むにつれて蓄積され、整備が進み、大部分はインターネットを通じて万人に共有される状態になっていたのだと思う。

ポケモンの生態に関して研究が進んで多くが明らかになった世界だからこそ「人間とポケモンが共に生きる街 = ライムシティ」を作ろうというビジョンに話がいくのだろう。

 

きっとそれは現実の世界と通じるところがあって、前人未踏の場所を開拓していくという営みの (本願として、宇宙や深海というフロンティアが待ってるぞ!! それはそれとして) 一方で、かつて別々のテリトリーで暮らしていた人と、同じ場所・同じ敷地の中で、どうしたら平和に生活を営んでいけるか?という大事なテーマを社会は抱えている。移民の話や、価値観を超えた相互理解という話と向き合わねばならない。

 

で、ポケモンと人間が一緒に暮らせるようにと創られた町において、長年ポケモンの研究に携わったハワードはミュウツーを使って、人間の魂をポケモンに移植しようとした。「共生」ではなく憑依、乗っ取りを選択したことになるよね。ティムとピカチュウの勇気ある連携によって、ハワードの試みは挫かれる。

 

一方でティムはピカチュウとの出会いと一連の冒険を通じて、親子の間にあった断絶を埋めることを決意した。

 

「Carry On」の歌詞にはこんな一節がある:

 

You, you found me
Made me into something new

 

この「into something new」っていうのは、他人との交流によって自分が新しい自分に出会う感覚なんだと思う。ティムもピカチュウ (とここでは便宜的に呼んでいる中の人)も互いにそういう変化を遂げることができたのがきっとこの作品だった。

 

他者を乗っ取るのではなく、他者との出会いによって自分をアップデートさせること。それが本当に大事なことなんだよ、と「Carry On」は伝えてくれているように思う。

 

これからの時代は特に、そういう考え方の重要性は他人事ではないと思う。

www.nikkei.com

 

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本題と全然関係ないんだけど、字幕版で観たからポケモンは欧米における名称で呼ばれてて、コダックは「サイダック (Psyduck)」なのが印象的だった。PsychokinesisのPsy + duckなんだけど、日本語で「いつも頭痛に苛まれてるから "苛" ダック」という雑で勝手な意味付けができるね。このサイダックは劇中で「サイダアック!! サイダアック!!」って鳴くんだけど、鳴き声と種が一致するってことは歴史上、「このポケモンは "サイダック" って鳴くからサイダックと名付けよう」ってことになったんじゃないか。だとしたら面白い。日本語版では無効な想像だけどな。

 

ちなみに現実世界において「○○と鳴くからそれで○○と名付けた」生き物が存在する。ヌーがそう。 

zooing.honpo21.net

ちょっとしたトリビアでした。