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【天気の子】クライマックス以降の展開と、凪先輩の「凪」という名前について

BUMP OF CHICKEN藤原基央さんが小学生の時にテレビで「天空の城ラピュタ」を観て、自分の住む世界では空から女の子が降ってくるわけでもないし冒険の旅が待っているわけでもないことに絶望した、という話が僕はとても好きだ。で、7/31IMAX2Dで「天気の子」を観てから翌日結末について考えていたら、基央さんの「一方自分がいる世界では……」的な見方にによって、この作品に対する想いで頭が占有されてしまった。

 

【以下、作品シナリオの核心に触れています】

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大気現象の異常化と引き換えに陽菜を空から連れ戻すことで、東京の街がずっとずっと降り続く雨でゆっくりと沈んでいくという展開に対して、もし帆高が陽菜を連れ戻さなかったら? について鑑賞後ずっと考えていた。雨が続いて夏に雪が降るような異常は回避されるだろう。でも、地球温暖化少子高齢化と窮屈な社会と世間により、日本は生きるだけで辛くて大変な場所にどんどんなっていく。働いても年金もらえないし、生き続けていても報われるのか定かでない場所になってしまってきている。止まない雨なんて降らなくても、結局、日本は経済的・文化的にどんどん沈んでいっている。そんなニヒリズムに陥ってしまう (じゃぁどう行動して何を変えたいか、というのは一旦置いておく。それはいずれちゃんと考えたい)。

 

そもそも「天気の子」というタイトルと一緒につけられた「Weathering With You」なんだけど、”Weathering” はもともと「風化」していく、古びていくという意味だ。ディズニーランドとかで、建物のドアや配管に対してサビや表面の剥げを美術的に描き込むことで長年使われて風化している雰囲気を出す、そういうのが「ウェザリング」技法だ。だから、日本がじわりじわりと沈んでいっても一緒に生きていこう、という思いを込めたフレーズなんだと思う。

 

現実離れした思春期の素敵なボーイ・ミーツ・ガールの一方で、社会に絶望しそうになる現実もまた描かれている凄い作品だと思う。

 

だから帆高と陽菜と凪がたどり着いたラブホテルで、からあげクンやカレーメシやカップ麺や焼きそばでパーティして、カラオケして、枕投げして、「これ以上、僕たちに何も足さず、僕たちから何も引かないでください。神様お願いです、僕たちをずっとこのままでいさせてください。」と帆高が願うシーンが僕は本当に好きだ。大量生産・大量消費・大量廃棄社会が生んだジャンクフードだって、誰かと幸せな一瞬を構築するためにテーブルを彩ってくれる。そんな風に、自分の手の届く範囲にあるもので、自分たちよりも大きな力を持つ者から、自分たちの小さな世界を守り通そうとする切実な強い願いが胸に響く作品だった。

 

この「何も足さず、何も引かないでいて」っていう感覚は凪くんの「凪」、つまり風力が釣り合って生まれた無風状態、動的な平衡状態に近いんだと思う。何もしていないから何も起こらないのではなく、いろんな方向からかかる力のせめぎ合いの結果として今の状態を保ち続けるような、つまり帆高が望んだもの そのものを言い当てているような名前だと思う。

 

 帆を高く掲げた船が荒波に揉まれる中、風が止んで穏やかに陽が射してきて、どこへも行けないかもしれないけどひたすら美しい一瞬が確かに待っている、そんなイメージを3人の名前からは想起する。

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 天井に描かれた龍の絵を解説してくれたおじいちゃんが言っていたように、大気を広い範囲で精密に観測し、データを残せるようになったのはここ100年くらいのことだ。また、私たちが日本で生活する基盤となっている資本主義経済だってそんなに長い歴史があるわけじゃない。私たちが「ふつう」「現状」「当たり前」と捉えているものは、一時的に「そういう状態が続いている」ものであることが多い。それを忘れずにいたい。