もうGood Morning

好きな映画、音楽について

「はちどり」の話しようぜ

元々、限られた数館のミニシアターでしか公開されないと思っていたんだけど、9月中旬現在、全国規模に上映劇場が拡大していて、なんだかすごいことになってきている。はちどり。この夏……いや、今年観た映画の中でも特によかったなぁ、と振り返ることになる作品に違いないと思う。

 

- 以下、ストーリーの核心に触れている場合があります -

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2回観たんだけど、この映画が「構図」や「(撮られているロケーションの)構造」が物語の主題を反映するように徹底してこだわり抜かれた、ロジカルに丁寧に設計された作品であるとに気づくうちに一気に好きになった。


劇中に登場するロケーションは、ウニが住む団地も、学校からの帰り道も、タバコを吸う場所も、病院も、背景に何かしらの建物や壁が映るようになっている。窓の外一面に空が広がるような開放的な構図が出てこないように徹底されている。仮に空が写っていても、白く曇っている。ウニの兄が大学見学に行った写真でさえもそうだった。

 

常に壁に塞がれているような閉塞感は、主人公・ウニが自分の置かれた境遇に対して抱く感情そのものだ。

 

 学校に行けば「ソウル大学へ行くのだ!! 勉強しろ!!」と煽り立てられ、家では不仲の親がいて、店を手伝うことを強いられる (冒頭、夜におじさんが尋ねてきて「勉強が得意でも家族のために働くことに精一杯で、進学できない韓国女性」の存在を示唆し、ウニもまたそんな風に大変に暮らしていることを思わせる)。息苦しい。生き辛い。

 

家では、ウニの部屋は扉の近くにあり、壁一枚隔てれば外の廊下である。でも、部屋の窓から見えるのは向かいの団地の棟だ。手を伸ばせば外の世界に出られてそうな場所にいても、出られない。扉からは一番遠い、突き当たりにあるリビングで父親は踊り、母はランプを叩き割り、ウニは感情を剥き出しにして跳びはねる。心の一番奥にしか自由な感情がないことの投影のように、間取りが活用されている。

 

また、短期入院したウニは窓際のベッドを割り当てられる。でも窓の外の景色は隣の建物。「病院の方が落ち着く」と言ってはいたけれど、友達がお見舞いに来れば同じ部屋のおばさんたちがヒソヒソ噂する声が聞こえてくる。監視されているみたいに。


ただ、物語の最後で1場面だけ、何かに遮られずに遠くが見通せるカットが登場する。

明け方の河川敷で、崩落した橋を眺めている場面だ。ウニは、だいすきだった先生の墓標と向き合うとき、橋が落ちて出来た隙間から遠く向こうの空を見ることができる。

 

私たちの心の中で、ときには喪失や欠落が感情を解放させてくれる。その事実を優しく抱擁するように、この映画は2時間以上の時間をかけて長いタメをつくり、じっくりとその解放の瞬間へと誘うように作られている。

 

この映画の冒頭では、玄関でウニを出迎えた母は「ネギ、他になかったの? しなびてるわ」と言う。このセリフに集約されているように、青々として瑞々しい、おあつらえ向けの選択肢なんて人生においてはたぶん用意されていない。居る場所を変えても、何を選択してもどこかしら萎びているのかもしれない。

 

それでもそんな現実の中でも、瞬間的に自分を解放してくれる瞬間が訪れる。
漢文塾のヨンジ先生のもとに階段を駆け上がり、抱擁した瞬間に窓の外で風が吹き、鮮やかな緑が揺れはじめる場面のように。 (あのシーンが奇跡のように美しく、劇場では声を上げずに心の中で喝采を叫んでいた)

 

閉塞的な日常から、自分をどこか遠くに連れて行ってくれることを予感させてくれるような上昇体験がきっと待っている。トランポリンで跳ねるように、跳ぶ前の場所と同じ位置に戻る刹那的なジャンプではなく、樹々を揺らす風のように爽やかで優しい瞬間が。