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好きな映画、音楽について

【劇場版・虐殺器官】心の痛覚を失くしていくこと

2017年の上半期に観た映画で、ラ・ラ・ランド虐殺器官がひたすらよかった。どちらも2月に観た。

個人的上半期ベスト作品のレビューみたいなノリで、後者について書いておこうと思う。

虐殺器官は、まず、告知ポスターがカッコ良すぎる。

 去年の秋にこのビジュアルが公開された時点で滅茶苦茶テンション上がっていた。パイロットスーツ姿が地上降下用ポッドに乗り込むシーンを想起させて、棺桶に身を納めて地獄にダイブしていくミッションの緊迫感が伝わってくる。

 

もともと原作の小説がとっても好きで、

(このへんから超ネタバレなのでご注意ください)

 

 

ミリタリー小説としての重厚感がまずあり、さらに言語をSFの題材にするという斬新さ・奥深さに惹き込まれた。その上で主人公のクラヴィス・シェパード大尉が肉体的にも精神的にも「痛みを感じなくなってしまうこと」がキーになっているストーリーなんだと分かって、それがよく出来てるなと思った。

 

ラヴィスが所属する特殊戦闘部隊では、作戦行動円滑化のために痛みを鈍化させる「痛覚マスキング」なる施術が導入されている。

人間の脳においては「A. 痛いかどうかを感じる部位」と「B. どれくらい痛いかを感じる部位」が別々にあり、A. を活かしつつB. の働きを鈍らせれば「痛いということは知覚できるけど、その痛みの大きさがゼロだから認知・判断に影響しない」状態になれる。カウンセリングや薬物投与によって脳機能を調整し、そんな状態を作り出すのが痛覚マスキングだ。クラヴィスが人間らしい感情を抑制して無慈悲な兵器・殺戮マシーンとしての役割を背負わなくてはならない、重たい運命を決定づける手続きとして登場する。

 

一方、クラヴィスは自分の選択によって人の命が奪われることへの罪の意識を強く抱く人物だった。母親の延命治療を拒否したことや、チームの仲間が死んでしまう場面を振り返るときにそんな一面が伺える。

 

しかし物語の結末時点では、クラヴィス自身が引き起こした災厄的暴動に対し、彼にとってはそれが生活雑音ぐらいにしか思えなくなるような無関心さが育まれてしまっていた。言わば、精神が痛覚マスキングされてしまっていた。そんな風に肉体的な痛みの消失と、心の痛みの鈍化・希薄化がリンクして描かれているのがシビれる。

 


では劇場版はどうだったかというと。
心の痛みがなくなってしまった状態を、観客である自分が体感できる瞬間があって本当にゾクゾクした。

具体的には、少年兵がシューティングゲームの標的みたいにクラヴィスの一人称視点で射殺されて次々と崩れ落ちていくシーン。残酷で非道なことが起こっているにもかかわらず、クラヴィスのやっていることがシステマティックで無感動な処理として描かれていて「子供を殺害する」という痛ましい行為が「標的を攻略する」だけの効率重視な障害除去作業のように思えた。

 

そんな風に見えるのは、観客である自分の判断から正常さが失われ、酷いことが酷いと判らなくなっているのではないか? という問いが観ているうちに沸き起こった。背筋を冷たいモノが走るのを感じながらスクリーン上の動きを追っていた。

 

時計じかけのオレンジ」冒頭30分くらいを観ていて、「こんな不道徳で残酷な仕打ちがメチャクチャ楽しそうに見える自分は、異常なのか?」と思えてしまったときの感じに通じるゾクッとした空恐ろしさがあった。


今振り返ると、劇場でこの作品を観たときは残業時間が多いシーズンだったので疲れていて、刺激的な映像がひときわ劇薬みたいに効くコンディションに自分がなっていただけかもしれない。でもそれを差し引いても、原作の重たく大きなテーマを映像で語って観せたシーンには強いインパクトがあった。


それと、クラヴィスが同僚と家でピザを食べながらアメフトを観戦しているシーンについて。

アメフトの映像には、まったく別の作品の映像が誤って挿入されているかのような、突き放されたよそよそしさがあった。これはクラヴィスにとっての「任務で何かひどいことがあると、漫然とした怠惰な時間にくるんで曖昧にして忘れようとしてきた」モードの映像表現だと思った。主人公たちを取り巻く現実とは無関係な映像にフォーカスすることで、悲痛な現実がアメフト会場の歓声と実況音声に埋もれて気にならなくなるような、メリハリのない対処療法として描かれている、と感じた。

 

それはそれで、クラヴィス自身に元来、心の痛みを鈍らせるスキルがあったことの示唆のようにも読み取れる。

 

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公開前から、中村悠一さんと櫻井孝宏さんが両主人公を演じるという時点で (ガンダム00グラハム・エーカーPSYCHO-PASS槙島聖護が激突するみたいでめっちゃテンション上がってた) かなり期待してたけど、裏切らずに圧倒してくるクオリティですごく良かった。

 

観終わってから「ヤバイものを観た……」と半ば心を空っぽにして西宮北口駅に向かっていたのを今でも覚えている。

【ラ・ラ・ランド】音楽とシーンのリンクが面白い。

2017年2月末に「ラ・ラ・ランド」を観た。音楽が鳴り始めたり止んだりする瞬間がストーリーを語る役割を果たしているように見えて面白かった。
印象的な3つのシーンについてメモ。

 

〜超ネタバレしてるのでご注意〜

 

① 夏。サンプラーで人工的なビートが鳴り始めるところ

セブがキース(ジョン・レジェンド)に誘われたバンドで、初めてスタジオ練習する場面。曲展開が変わるタイミングでシンセ・パッドが押され、打ち込みフレーズが再生される。

セブは戸惑いながらも、うまくついていくようにピアノを演奏し続ける。
違和感を抱きながらも自分をフィットさせてていく。

 

他人があらかじめ組み立てたリズムに同期することを強いられるというのは、その後に待ち受けているツアー生活のスタイルについても当てはまる。誰かが決めたタイムスケジュールに合わせて、不自由を乗りこなしながら演奏を続けなくてはいけない。

打ち込みビートに合わせて演奏するスタイルが、ツアー生活のメタファーになっているのが面白かった。


② 秋。音楽が鳴り止んでもレコードが回っているところ

夕食のテーブルで口論になるシーン。
気まずい雰囲気を強調するように静寂が訪れる。

音楽が鳴り止むのは、自分の中に描いていた夢やビジョンの行き詰まってしまうことの示唆だと思った。
でも、円盤は回り続けていた。2人の溝が埋まらないまま、生活が続くことを雄弁に語るみたいに。

せつないなぁ

 

③ 5年後の冬。ピアノに向かって「1, 2, 3, 4」とカウントを取るところ

②で書いたように、音楽の停止を夢やビジョンの行き詰まりと捉えれば、反対に自分なりの合図で演奏を開始するシーンは、自分の描いた人生が動き出していくことのメタファーとして解釈できる。

それが、ラストの直前にセブがさりげなく唱える「1, 2, 3, 4」だと思う。
自分のタイミングで、自分が決めたBPMで人生が動き出していく瞬間だ。


「セッション」での「1, 2, 3, 4」というカウントは、フレッチャーの鬼指導の象徴として (ビンタとセットで)登場していた。

一方「ラ・ラ・ランド」では、セブが自分の場所で、自分のリズムで、自分の人生のための音楽を鳴らす合図としてカウントが発せられた。本作のシナリオにはミアとセブが結ばれない切なさがあるけど、それぞれ自分のやりたいことを追いかけられるってすごく素敵じゃない? という見方もできる。

ミアは役者らしく、含みのある表情で振り返って立ち去った。
セブはミュージシャンらしく、バンドのメンバーと呼吸を合わせ、カウントを取って演奏を始めた。

それぞれすごくカッコよくて、良い終わり方をするポジティブな作品だと言えるんじゃないかなと思う。

 

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ちなみに映画の内容とは関係なく、公開初日のことを思い出していた。

2017年2月24日 (Fri)がラ・ラ・ランドの公開初日。この日、世間ではプレミアム・フラデーが初めて施行されるということで「早く退社して飲みにいくんじゃね?」という空気が職場で醸成されていた。

 

でもでもこの日、ほかにいろんなイベントが被りまくっていた。

ライブ観に行くとしたら大阪に出る身なので体がいくつあっても足りんじゃないかと思ったが、結局ジェイムス・ブレイクを選んだ。とてもよかった。そんな風にイベントありまくりなので、少なくとも会社の飲み会に行ってる場合なんかじゃなかった。早めに退社してる人もいなかったんだけど。

 

ベストアルバム2016 (後編)

前半は こちら

 

それでは5枚目から続きを紹介。


5. LILI LIMIT「a.k.a」

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このレビューを以下に載せていただきました。

(アルバムはランキング82位)

ongakudaisukiclub.hateblo.jp


自分の書いた内容を上記サイトから引用掲載。

「ぷらナタ」でバンドがわたきゅう(私を構成する9枚)を挙げていた時、Bloc PartyやThe 1975、Galileo Galileiが入っているのを見て「なるほど!!」と思った。ギターも打ち込みも声もバランス良く、シンプルなシルエットで風通しの良い洗練された音になっている理由が分かった。そういう音楽的指向を背景にして、キッチンとか部屋とか、よく馴染んだ日常の中でポートレートを美しく切り出したような音楽が鳴っている。日々が肯定される、確かな暖かさをくれるアルバムだ。

ちなみにこのバンドには、イノセントな声でわたし目線の歌を歌い上げるダンディーなボーカルと、後ろ姿は女子なギタリストと、キレイなベーシストと超チャーミングなキーボーディストと年上のドラマーがいる。見ていてとっても楽しい。

メンバーそれぞれのキャラが立っていて、とてもいいバンドだと思う。 

 


6. D.A.N「D.A.N」

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このレビューを以下に載せていただきました。
(アルバムはランキング8位)

ongakudaisukiclub.hateblo.jp


自分の書いた内容を上記サイトから引用掲載。

足元を揺らす波に浸っていたら心地良くて、いつの間にか胸元まで水が満ちてきていた。ひやりとした透明な水に柔らかく抱擁されていた。そのまま、たゆたっていたいと願った。

ループするフレーズのアイデアを元にダンサブルなグルーブをイチから立ち上げてゆき、じわじわと大きな渦を作り出していくD.A.Nの音楽は、僕をそんな体験へと誘ってくれた。アルバム序盤の曲が、徐々にBPMを上げて行くように配置されているのがとてもニクい。

短い時間に目まぐるしく展開を詰め込んだり、フェスで乗れるように速いテンポで4つ打ちを繰り出したりするトレンドが、過去のものとして決定的に相対化された気がした。

 


7.  Porter Robinson & Madeon「Shelter」

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ポーター・ロビンソンがディレクターを務めたオリジナルアニメのテーマ曲。

 

www.youtube.com

 

物語自体はとても悲しいけど、春の木漏れ日のような暖かさをが機械の中に宿っているような様を見事に描いたキュンキュンする曲だ。

2017年に入ってから、w-inds.橘慶太さんがアルバム「INVISIBLE」収録の製作過程でボーカルドロップのエフェクトに影響を受けたと語っていたり、東京女子流predawn」の音像・雰囲気がこの曲に通じてたりしていた。後から振り返ったときにはこの「Shelter」が、J-POPの転換点において重要な参照点になっているかもしれない。


8. a flood of circle「BLUE」

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映像作品「THE BLUE MOVIE - 青く塗れ! - 2016.06.04 Live at 新木場STUDIO COAST」のボーナスディスクに収録されている曲。同時期に配信でもリリースされた。


バンドがデビュー10周年の節目を迎えた2016年。
過去を振り返るのではなく、新しい一歩を踏み出し続けたいという熱い思いで生まれた大名曲。

AFOCはメンバーの失踪・脱退を経験し、順風満帆には程遠い険しい道をずっとずっとずっとずっと転がってきた。それでも、それでも佐々木さん(Gt, vo)は立ち止まらずに曲を書き、ライブを演り、音楽を届け続けている。

そんなバンドだからこそ憂鬱のブルーを超えて、未完成で青いままの自分たちが持っている可能性の先へ行きたいという真っ直ぐな情熱がダイレクトに歌われている。

ロンドンでのレコーディングに挑むことで生じた環境・心境の変化が、風通しの良い爽やかなギターの音に反映されているのが良いと思う。開放感のあるサウンドのおかげで真面目な歌詞の堅苦い印象が緩和され、むしろ熱を帯びた切なさが良く伝わってくる。

 AFOCはベスト盤のタイトルが「THE BLUE」だったり、「青く塗れ」という曲をリリースしていたり、そしてこの曲「BLUE」があり、青色に強くこだわっている。

そこには自分たちが

  • 成熟/大成しきっていないこと
  • 青春の只中にいること (= 心が若い状態であること)
  • ブルースをルーツとしてきたこと

を込めていると佐々木さんはラジオやインタビューで語っていた。
そこに付け加えることが1つある。赤い炎よりも熱いのが、青い炎だ。
どこまで熱く走り続けていってほしい。



9. Armin Van Buuren「Sail」

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これだけは過去の作品。2006年リリース。
ULTRA JAPAN 2015でヘッドライナーの1人を務めた、Armin Van Buurenによるトランスの曲。

2016年になってこの曲を知ったのは、Twitterで「わたしを構成する9枚」ハッシュタグが盛り上がってたのがきっかけ。1月頃、写真が趣味な先輩がこの「Sail」を挙げていた。Arminの名前は聞いたことあったけど曲まではあまり知らなくて、これから聴いてみようとなった。

もともとトランスというジャンル自体が好きだった。今の主流のダンスミュージックよりもBPMが早くてシンセの音も派手で、躁状態のトリップ感をガンガン味わえる。Ferry Corstenやglobeのトランスリミックス盤をすごく気に入って聴いてた。

この「Sail」はそんなに派手ではないインストゥルメンタルトラックだけど、1パターンのコード進行を繰り返す中でドラマチックな高揚感に浸らせてくれる、9分間があっという間に過ぎる曲。

タイトルの通り大海原のド真ん中にいるようなイメージの曲なんだけど、視界一面に青空と海しか無いような茫漠とした場所に、たった1人で小舟で放り出されているような孤独感・不安・虚無感を掻き立てられる。それでも、茫漠としたブルーの向こうに自分以外の誰かが待っているような一筋の希望が感じられる。
 
 電車の窓から真夏の青空を眺めながらこの曲を聴いていると、心が溶け出していくような堪らない気分に何度もなった。

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そんなわけで2017年も9月になり、今頃かよ!! というタイミングなんだけど記事としてまとめることができた。テキスト自体は年明けからチマチマ書き始めていて、温め続けてたらこんな時期になった。

イムリーに書くようにしたい。

 

ベストアルバム2016 (前編)

2016年に良く聴いた音楽について。
アルバム・シングル・旧作含めてハマった作品を並べるとこんな9枚になった。

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(うち1枚は2006年にリリースされた旧作。)

 

まずは4作品についてこの記事で紹介~

 

 

1. 宇多田ヒカル「fantome」

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 もともと宇多田ヒカルの好きなところは、歌とアレンジとトラックのクオリティに「この人のチームに勝てる国内アーティストは誰一人として見つかりません」と降参せざるを得ないような、圧倒的な説得力があることだった。

 そんな説得力を活動休止の間に微塵も損わないどころか、これまでの曲に宿っていた都会的な圧迫感・せせこましさ、人工的な冷たさではなく、生の実感を躍動感で表現するような解放的な音色で新しい魅力を打ち出してくれた。

 過去の曲では緻密な仕掛けによって高揚感と空虚感を同時に表現するアレンジもあった(※)が、今回はストレートに素直に盛り上がっていくような展開が多く、それが生音中心の曲調と非常に良くマッチしていると思う。

 「ニ時間だけのバカンス」を聴いていると、このままどこまでも圧倒し続けて欲しいと思ってしまう。
 
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※過去曲、たとえば「traveling」でいうと具体的にはこんな箇所。
 イントロから「ヒュイイイイイイイ」という甲高い風のような音が背景で鳴っている。この効果音は「♪ふいに 我に 帰り くらり」あたりから音程が上がって行き、サビに向かってガーーーーッと盛り上がっていくように期待させる。けど、その期待感を敢えて裏切るように「春の夜の 夢の ごとし」のところで一旦勢いを萎ませて、 あれ!? と思わせたところで1, 2, 3, 4!! とカウントを取るようにハイハットが4拍鳴り、勢いをつけてサビに突入する。そんな風に歌詞とリンクした感情の抑揚をアレンジで見事に表現していた。メチャカッコよかった


2. The 1975「I like it when you sleep for you are so beautiful yet so unaware of it」

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「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。」というアルバムタイトルは、ピュアラブまっしぐらで超ロマンチックだなぁとばかり思っていた。でも「Unaware = 気づいていない」という言葉が焦点の定まっていない感覚を言い当てていて、こちらの思惑に相手が全く気がついていない状況のような、やんわりとしたすれ違いを表現したものだと今では解釈している。

 80’s ポップスとアンビエントが出会って生まれた夢見心地なサウンドはそんな焦点の合わない感覚に対してすごくしっくりくるし、すれ違いから現実逃避するために心の中に立ち現れる桃源郷をも美しく描き切れるようなパワーが感じられる。

今の世代で自分が一番好きなUKバンドが期待を大きく越える新作を出してきたということで、ここから先が明るく開かれたような気分で聴いていた。

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このアルバムについて「音がクールでカッコいい」というだけで滅茶苦茶気に入って2016年の間ずっとノリノリで聴いてた。でもあんまり歌詞について深追いしてなかったので、今回改めて歌詞カードを読み直して気づいたことをメモ。

 リードトラック ”The Sound” では「君がそばに来ると分かるんだ 君の心臓の音を知ってるから」というBUMPみたいな力強い歌詞が冒頭からリフレインする。これは強い信頼とか愛の曲かな!? と思わせておきながら、実際には壊れて戻らない関係性を歌っている。「君がもしそばに来たらきっと分かるよ (もう来ないはずだけど)」というような状況の歌だった。

 アルバムの随所で「君は自分を心配してくれるけど、もうこっちは心変わりした」「気が動転して、自分の頭がおかしくなったみたい」「君にはもう他の誰かがいるって気づいた」などなどと歌い、特定の相手との関係性にフォーカスすることのない、ハッキリしない感情を描いている。そういうボヤけた感情で生じた「こじれ」 が “The Sound” で明確化する構成になっているように思えた。

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3. n-buna「月を歩いている」

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ボカロでギターロックをやっている作品。
ギターやピアノの音色の暖かさと、初音ミクの声が持っているピュアでイノセントな雰囲気が、春をイメージした曲中の物語に見事にマッチしている。もうじき桜が咲きそうな季節の独特の切なさが好きな方なら、誰にでもオススメできる。

ボカロシーンについては柴那典さん「初音ミクはなぜ世界を変えたのか? (2014)」を読んで概要知ってた程度で、全然詳しくなかった。

1. 歌によって物語をプレゼンするキャラクターとしてミクがいる
2. 情報量(音数)が多い

という特徴は知っていた。
そのイメージとアルバム「月を歩いている」がどう対応にしていたかについて。

1. 歌で物語をプレゼンしている という点に対して
 このアルバムでは「シンデレラ」「オオカミ少年」「白雪姫」「赤い靴」「かぐや姫」などの童話をモチーフにして、喪失や別離のストーリーが描かれている。全ての曲が、何か知らのフィクションを届けるために鳴っている。

そうやって物語を届けるために歌があるスタイルについて、n-buna氏本人による自己批評的なテキストが歌詞カードに記されていた。「いくつもの物語を作った。いずれも、追憶の中の “君” の代替品として生み出されたキャラクターを誰かが探している話だった。単調な複製でしか無かった」と読み取れる内容だった。

物語を歌に込めて届けるプロセス自体の切なさを暴いていて、ゾクッとした。


2. 情報量が多いという先入観に対して
 この作品では音数は多くない。それがとても良い。楽器数やパート数を抑えて、ギター2本とベースとドラムとキーボードでライブ再現ができるレベルの構成になっている。

その結果生まれた音の隙間でミクの声の特徴的な震えが響くようになっていて、切なさ・やるせなさが増長されるようにアレンジが効いている。「楽器としての初音ミクの魅力」が詰まった作品になった。

 

4. Kygo「Cloud Nine」

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トロピカル・ハウスの旗手として注目されたトラックメイカー、Kygoの1stフルアルバム。BPMを抑え目にして豊かな音色やハーモニーを届けることにフォーカスしたダンスミュージックにが鳴っている。「癒し系EDM」かのようにして宣伝されていたけど、草原や風の香りが漂うような自然な雰囲気が心地良い。

笛のような音色のリフが主導する楽曲は、夏の終わりよりもむしろ秋~冬にかけての雰囲気にマッチするなと感じた。

 

後編へつづく。

【ガールズ&パンツァー劇場版】遊園地で戦うことの意味

ガルパン劇場版は2016年、劇場で4回観た。

本当に好きな作品なので気づいたことを記録しておきたい。

 

キャラクターの愛くるしさとか戦闘シーンの音響の迫力とかいろいろ語るポイントがあるけど、何よりも、エンディングのイントロが流れ始めるときの夕焼け空のカットがめちゃくちゃ好きだ。 毎回泣く。

 

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 (↑このシーンの来場者特典フィルムがヤフオクに出てた)

 

茜色の夕焼け空がゆっくりと紫色を帯びていくこのカットで、ブッ壊された観覧車を数秒間見つめ続けていると、ストーリーに「帰る場所を奪還する」という超シンプルでアツい筋が通っていることに改めて気づかされる。得も言われぬエモさを感じる。

 

これは夕焼け空そのものが (日本むかしばなしのエンディングにあるように)日が暮れたから家に帰ろうという気分にさせるものであって、帰る家があること = 学園艦が解体から救えたことが印象付けられるからだと思う。でも、そこに壊された観覧車が一緒に写っていることで、戦場が遊園地だったことの意義にも気づかされた。

 

遊園地/テーマパークは、家族で行くにせよデートで行くにせよバイト仲間と行くにせよ、「非日常」を楽しむ場の象徴だと思う。この映画ではそんな場所を戦車で戦うフィールドにして、いろんなアトラクションを壊しまくっていった。
 
試合としては相手の戦車を1台残らず撃破すれば勝てるのであって、遊園地の施設は意図して壊されていったわけではない。バトルを派手で面白く見せるための演出にすぎないという見方もできる。しかしよく考えると、「非日常空間をブッ壊す」ことは字義的に裏を返せば「日常を回復させる」ということであり、それはこの作品の文脈では学校を取り戻すこと・学園艦を救うことに他ならない。
  
だから観覧車を回転台から撃ち落として転がる質量兵器にしてしまうのも、
ハリボテの西部劇セットに車体で突っ込んでそのまま破り抜けるのも、
振り子状に迫ってくる海賊船に戦車が正面衝突するのも、
ひとつひとつが主人公たちの「試合に勝って学園艦に帰ろう!!」という想いが成就に向かっていく過程を暗黙的に描いたシーンだったんじゃないか。

 

エンディングが始まるカットの静止した観覧車は、その想いが激闘の末にちゃんと叶ったことの象徴として夕焼けの中で佇んでいる。
「試合に勝って、学園を解体から救う」というストーリーが、シンプルだからこそめちゃくちゃ熱くて力強かったなぁという感慨に浸らせてくれる情景だ。だから毎回泣いてしまうんだ。